衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年05月22日    金曜日     第1開示 合計4719開示

持戒の功徳を観ずる

如春:元旦の三連休、家族を実家に帰省するよう手配し、私は一人で家にいました。この三日間、私は外出せず、話さず、テレビも見ず、電話や音声メッセージも聞かず、心を散らさず、一日一食としました。早起きしてまず湯を沸かし、線香をあげて仏に供え、その後座に上り、呪を唱え、法義を観じ、法義を味わいました。私はよくグループ内の昨年から現在までの法義を繰り返し読み返し、以前師匠が説かれた法を再び思惟し、今の自分の考え方が以前とどう異なるか、進歩があるかを省みます。師匠の質問に対して以前は知らなかったことも、今はどれだけ知ることができるようになったか、良いひらめきがあれば書き留め、禅定があり思路がある時は没頭して書き、書きながら思惟する過程でさらに禅定が深まり、この過程は非常に素晴らしく、時間が経つのが早く感じられます。

意根が前六識すべてを捉えて働かせているため、意根にしっかりと結びつけられ、一つのことに専念し、他のことをする余裕がなく、こうして飲食もせず動かずに一つの午後を書き続けることができます。普段は七つの識が活発に動き回り、それぞれに忙しくしていますが、突然すべてが静まり、力を合わせて一つのことに取り組むと、ひっそりと感じられ、世界全体が存在しないかのようで、自分には関係なくなり、頭の中には法に対する思量と観察だけが残り、まるで金色に輝く光の脈のようにきらめき、身体を忘れ、時間や空間を忘れます。これがおそらく意根の強力さであり、普段は五蘊の身体にしっかりと縛られていますが、時折こうして空になる瞬間があると、とても心地よく感じられます。

この三日間の外出しないことは戒を守ることであり、六根が六塵に触れることが少なくなることです。戒をよく守れば禅定も自然と良くなり、禅定が良くなれば観行もそれに伴って強くなり、観行が強くなれば智慧も進歩します。ですから、戒を守ることは定と慧の前提であり基盤です。

点评:身心が人や物事に触れないことは、単に身で戒を守るだけでなく、主に心で戒を守ることです。心が雑事を思わず触れず、雑念や乱想がなく、雑染の法を造作しないことは、根本的な戒めです。このような戒は身心を効果的に収め、禅定を出現させ、思惟観行が非常に力強くなり、続いて智慧が現れます。これは戒定慧の三学の関係を直接的に証明しています。多くの人が仏法を学んでも定慧が現れないのは、内心の攀縁が多すぎて、何も手放せず、何にでも触れ思惟し造作したがり、六根が放逸で、六識が乱れ、心が汚染され、心が清らかでないために学法に効果がないからです。


——生如法師の開示
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