問:仏法の中で学ぶすべてのことは、実修の価値がなければなりません。理論だけを学んで修めないのであれば、伝えていくことはできません。法相唯識宗の修法には「五重唯識観」がありますが、これを修める人は非常に少ないのですが、なぜでしょうか?
答:いかなる法門を修学するのも、すべて実証によって智慧を増長させ、解脱を得るためです。それには実修が必要となります。理論の中には単なる理論にとどまるものがあり、実修を導くことができなければ、実証もできず、そこに置かれているだけの飾り、門飾りにすぎません。法相唯識宗の修学は、世間法でいう大学院の修士・博士課程のようなもので、きわめて深奥です。これは登地以前の菩薩が修学を始める法門であり、普通の学仏者には仏法の基礎がなく、小乗の断我見すら望み薄いのですから、どうして修学して理解できるでしょうか?
それゆえ、唐代に唯識宗はわずか二代しか伝わらずに途絶えてしまいました。その一つの原因は、学仏者に基礎的な仏法の修証がなく、深奥な法相唯識はなおさら実修できなかったことです。このように理論と実践が乖離してしまえば、唯識をどうして伝承していけましょうか。地上菩薩の証量がなければ唯識宗を伝承することもできません。それゆえ、仏法は確かに階級があり、修行の次第が分かれているのです。世間法でさえこれほど粗浅なのに、大学・中学・小学と課程が分かれています。まして深奥な仏法はなおさら階層に分かれており、成仏には三つの無量数劫の修行時間がかかります。前段の基礎となる法を実証してはじめて、後の仏法を実修できるのです。まるで片足を前の段に踏み出して、はじめてもう片方の足を持ち上げて次の段へ踏み出せるのと同じで、飛び級はできません。さもなければ転んでしまい、段を上ることはできません。
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