衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年03月23日    月曜日     第1開示 合計4658開示

夢で無明の薄れと煩悩の弱まりを示す

如春:この度の生活と修行はどちらも行き詰まりを迎え、生活上のいくつかの問題は解決できず、修行も進歩が見られません。自分自身のどこに問題があるのかを反省しています。生活と修行のいかなる問題も結局はあの「私」の問題に帰着します。私の中のあの「私」は何か問題を抱えているのでしょうか?最終的に分析したところ、自分が肯定や承認を求めすぎていることが分かりました。生活の中で肯定や承認を求めると、強者になろうと努力し、強者になることでより多くの権利、地位、名声、富、資源などを手にし、優越感、安全感、世間との緊密な繋がり感、他人から必要とされること、尊重されること、お世辞を言われること、重視されること、羨ましがられること、おべっかを使われることなど、様々な心地よい感覚を得て、心の奥深くにある自己肯定と承認欲求を満たそうとします。

そしてこれらの感覚は自我を養うと同時に、あの「私」を形成する重要な要素でもあります。そしてあの「私」こそが輪廻の根本です。したがって、肯定を求めることは「私」を求めることであり、無明を好むことであり、輪廻を好むことであり、繫缚(けばく)を重くし、苦を以て楽とすることです。このような心性で修行することは、道、無我、空に背いて進むことです。どうしてうまく修行できるでしょうか?苦受、楽受、不苦不楽受、人々は習慣的に楽受を選びますが、この選択問題の命題そのものが間違っていることに気づいていません。受があるところに「私」があり、「私」があるところに苦があるのです。我が仏の慈悲深い教えにはこうあります:苦海は果てしなく、振り返れば岸がある(苦海無辺、回頭是岸)。

このことを考え、変わろうと決心した時、夢を見ました。夢の中で自分は下痢をしており、朦朧とした中で頭が少しすっきりしたように感じ、お腹もずいぶん空っぽになり、全身に爽快感がありました。ほんの少し認知を変え、ほんの少し心の在り方を変えるだけで、業をほんの少し転じることができるのではないでしょうか?

講評:夢の中で下痢をするのは、自我が少し融解し、自分の煩悩をいくらか排出したことを表しています。夢の中で頭がすっきりしたのは、智慧が一歩進んだことを示し、全身の爽快感は無明の負担がいくらか減ったことを示しています。意根の心の在り方が変われば、過去の業障がいくらか消え、心の覆いが少なくなります。このような夢はとても良いことです。少しずつ無明の覆いを取り除いていけば、修行は進歩し、見道(悟りへの道)の曙光はもうすぐそこに、距離はますます近づいています。

夢は意根の心の動きの現れであり、意根の心の想いから生じ、意根の心性によって現れます。意根の知見が変わり、思想が変わると、意根は夢を使ってそれを表現します。なぜなら、意根は言葉や文字や音声を使って表現することができず、夢を使って表現するからです。したがって、学仏者や修行者が修行上いかなる進歩を遂げた時も、業障が消えた時も、四加行の段階に入った時も、煩悩を降伏させた時も、初果向(預流向)に至った時も、大小乗の見道を経験した時も、様々な難関や行き詰まりを突破した時も、一歩一歩上昇していく時も、意根は夢を使ってそれを表現します。それゆえ、長く修行しているのに夢による示現がない人は、ほとんど意根の心性に変化がないと言えます。自分は悟りを証得したと感じているのに意根から何の示現もない場合は、それは確かに偽りの悟りです。


——生如法師の開示
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