如春:先日、師匠がグループでおっしゃったこと:孫悟空が如来様の掌から跳び出せないという話を聞いて、なぜそうなのか考え始めました。何日も考えましたが納得のいく答えが出ず、そのまま放っておきました。ところが昨日、家族が「お前は菜食だけを食べて一部を取り上げて全体を推し量っている、まるで孫悟空が柱だけを見て如来様の掌が見えていないようなものだ」と言いました。それを聞いてハッとしました。これこそ私が求めていた答えではないか?柱だけ見えて如来の掌(如来蔵)が見えていないのです。連想から出た答えは必ずしも正しくないかもしれませんが、私が確かめたいのは、このように問題を心に引っ掛けて答えを探す行為が意根(末那識)なのかどうかです。当時は答えが出せず、少し悔しい気持ちはありましたが、仕方なく諦めていました。家族のその言葉を聞いた瞬間、突然理解できたような気がして、まさに痒いところに手が届くような心地でした。
講評:あなたは自分が何を答えとして求めているのか明確に説明していません。心の奥底でひっそりと問題を引っ掛けて思索する行為は、意識(自分自身)が気づかない場合があります。これは意根が心の中で問題を引っ掛けている状態です。インスピレーションが湧いてくると、意根が問題を考え抜き、意識は意根が究明した答えを理解するのです。ただし意根が考え出したことは必ずしも正しいとは限らず、誤解や隔たりがあるかもしれません。なぜなら意根の智慧は千差万別であり、悟りを開いた後も完全ではなく、ましてや無明の凡夫の段階においてはなおさらです。
如春:おっしゃる通りでございます、師匠。意識は自分がまだ考え続けていることに気づきません。私の意根の智慧はとても低く、ただこう考えました:如来様の掌は如来蔵を寓し、孫悟空が見た柱は私たちの肉眼で見える世界を寓しているのだと。当時はここまで考えついただけで満足してしまい、正しいかどうかも分かりませんでした。
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