衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年03月20日    金曜日     第1開示 合計4655開示

何を発願するのが正願なのか?

昨日、ある学人が大いなる慈悲の心を発し、大勢の前で祈願しました。「大千世界のすべての衆生が願いを成就できますように」と。この祈願は良いものでしょうか、その結果はどうなるでしょうか。もし個人の修行が高ければ、願うことはすべて成就し、思いが実現し、念じれば即ち成就するでしょう。しかし、もしその人が悪人の悪願が成就することを祈願したり、煩悩に満ちた者が貪・瞋・痴を成就することを祈願したりすれば、それは悪を助長することになり、その願いは愚痴の願いとなってしまいます。私もかつて愚痴の病、偽りの慈悲を犯したことがあり、今でも完全には改められていません。小さな慈悲は一見善のように見え、人々に好まれますが、実際は愚痴であり悪です。大いなる慈悲、究極の慈悲は表面的には無情に見え、普通の人は好みませんが、実は真の智慧なのです。

鶴千行:この祈願の発心は良いのですが、円満ではありません。智慧が不足していることを示しています。円満な祈願は「願わくは行う善法は、ことごとく成就し、行おうとする悪法は、ことごとく成就せず」であるべきです。しかし、個人の因果は個人で了えるものであり、彼が祈願したすべての衆生にとって、願いが成就するわけではありません。因果の業力は依然として法則に従って運行します。この祈願を発した人自身にとっては、不円満な慈悲の心を発したことになります。慈悲の心のエネルギーの大きさや次元は、祈願者が真心からか一時の気まぐれかによって決まります。それが真心か一時の気まぐれかは、意根から発せられたか意識から発せられたかによります。もし意根が真心から発せられたのであれば、自身の道業の増進に非常に有益で、菩提の根が成長します。もし意識心による一時の気まぐれであれば、それは現行が種子を薫習するものであり、意根を増上薫修することになります。

もし個人の修行が高ければ、周囲を取り巻く護法神も多く、護法神の次元も比較的高くなります。しかし護法神の次元が高くても、智慧にはばらつきがあります。そのため、このように智慧が不足しているために人々の願いを成就させてしまう(悪願も含む)状況が起こる可能性があります。また、個人の修行が高く福力が大きく、意根が心を一処に摂める能力が強い場合、意根は強大な定力をもって如来蔵に願いを送ることができ、自身の福力の加護が加われば、如来蔵は業力を超えて事実を変造することができます。願いの力は業の力よりも強いため、願いを成就させることができるのです。しかし普通の修行者にとっては、この二つの条件をどちらも備えていないため、非常に困難です。

吉人天相:凡夫の願いは貪・瞋・痴が多く、妄想や妄念に満ちています。貪れば貪るほど多く、深みにはまればはまるほど、衆生は互いにより絡み合い、煩悩はますます深くなります。清浄なる大願を発して初めて、欲望の炎を消し止める望みがあり、これがすべての問題を解決する良薬でもあります。これができなくても、善い願いを多く発し、他人のことを思いやり、さらには衆生の利益となる願いを多く発するべきです。もし人々が皆そうすれば、煩悩の世界は極楽国へと変わるでしょう!

修行者が世に正法を伝えることは、世人の慧命の師となることであり、それ故に「法師」と尊称されます。法師の立場で衆生を見る以上、偽りの善人(爛好人)であってはならず、時に冷徹であることさえあり得ます。常に学びと修行を重んじます。衆生が学びを成就した時に初めて、師匠の慈悲の境地を理解できるのです。智者は孤独であるほかなく、あの天上でひたすら光を放つ太陽のようです。ただ黙々と無言の愛を注ぎ、誰が好むか好まないかは気にかけません。

常住:衆生の願いには、清浄なる願い(菩提心願ともいう)もあれば、様々な貪・瞋・痴や倒錯した妄想を含む不清浄な願いもあります。私たちが「衆生の願いがすべて成就しますように」と祈願する場合、その願いは決して後者(不清浄な願い)を含むべきではありません。そうでなければ悪を助長することになり、その果報は非常に重いものです。弘法利生は、学問や財力、能力、勢力、権力によるのではなく、清浄なる発心と広大なる願力によるものです。広大なる願力なく、清浄なる発心なくしては、衆生を度化することはできません。願力が広ければ広いほど、心の器量も広くなります。願力が大きければ大きいほど、心の力も大きくなります。心の器量が広ければ広いほど、弘法度生はより広く受け入れられ、より円融となります。心の力が大きければ大きいほど、弘法度生の摂受する力も大きくなります。諸仏には総願と別願があり、四弘誓願が総願です。すべての菩薩は初発心の時に、必ずこの願いを発します。


——生如法師の開示
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金剛経解説:いかなる一法も如来に仏果を得させることはない

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