如春:ここ数日、娘の怪我で病院に付き添い泊まり込みをしていました。昨夜、ようやく眠りについたところで、娘が冗談を言ってくれる夢を見ました。私はとても嬉しくて思い切り笑い、笑っているうちに胸の中に一団の気が集まり、胸腔が押し広げられるような感覚があり、どうしてこうなるのだろうと驚いて目が覚めました。今日目覚めた後もその夢を鮮明に覚えているのですが、意味がわかりません。師父、この夢はどんなメッセージを伝えているのでしょうか。
答:この夢の性質は予知夢ではなく、寓意夢であり、ある事実を示すためのものです。誰が誰に示したのでしょうか。それは意根が意識に知らせたのであり、あるいは意根が喜びのあまりこの事柄を表現したのです。非常に嬉しいことは表現して初めてすっきりし、もやもやしなくなるのです。
では、意根はどんな嬉しいことに出会ったのでしょうか。それは、自分がある程度の禅定を得て、正しく法義を思惟する方法を学び、多くの法会で思惟を重ね、しかもその法義を理解し、法義が幾分か通じるようになったからです。長期にわたる弛まぬ努力がようやく初歩的な成果をもたらし、当然非常に喜ばしいことです。それゆえ、このような夢を作り出し、ついには笑い声で目が覚めてしまったのです。その証拠は何でしょうか。夢の中で、胸の中に一団の気が集まり、思い切り大笑いしたことでその気が胸腔を突き破りました。これは胸腔の気脈が開いたことを指し、禅定について述べているのです。もう一つは智慧を寓意しています。胸腔はまた内心の深いところとも呼ばれ、この場所が開くとは、内心深くにある意根の智慧が開けたことを指します。定(禅定)と慧(智慧)が共に現れた、これが弛まぬ努力の結果なのです。
ある人々は鈍い鳥の部類ですが、鈍い鳥は先に飛び立つことができ、勤勉で、粘り強く続けることができます。最終的に鳥は鈍くなくなり、智慧を得るのです。これは喜び祝うべきことです。一方、他のある人々は鈍くはないのですが、あまりにも利口で賢すぎます。どの程度賢いかと言えば、実践を伴う禅定を軽んじ、口と舌だけを使い、苦労や疲れ、労力を恐れ、楽な享受に貪着するほどです。結果として、これらの利口な鳥は鈍い鳥よりもさらに愚かになり、賢さが道を妨げ、後世には恐らく三悪道で賢さを発揮することになるでしょう。
単に定と慧に初歩的な進展があっただけで、このような夢が明示されたのです。では、我見を断ち果てて証果を得、明心見性した後には、その寓意に富んだ夢はどれほど殊勝で特別なものとなるでしょうか!しかし、ある人々の言うところの証果や明心には、まともな境地の暗示さえ何もありません。これは何を物語っているのでしょうか。それは、偽のものは真になれず、真のものは偽になれないこと、自らを欺く者は自らを欺くだけで、最終的には人を欺くことはできず、特に閻魔大王は全く欺けず、自身の如来蔵はなおさら欺くことができないことを示しています。結果は想像に難くないでしょう。
如春:師父、ありがとうございます!修行の道は常に業障の爆発に伴い、非常に困難で、肝を冷やし、刃先の上にいるようであり、ただ強大な願力と信念に頼って、一つ一つ努力して克服し、克服していくうちに、智慧も少しずつ昇ってきます。十方の諸仏菩薩の加護と守護に感謝します。菩薩のご加護がなければ、私はどうやって数々の問題に直面すればよいか分からなかったでしょう。
返答:人は誰しも無始劫以来の業障が多すぎ、重すぎるのです。仕方なく、遭遇した時はどうにかして消滅させ、消滅できないものは耐え忍ぶしかありません。耐え抜けば、そこはまた別の天地です。だから業障に阻まれて停滞してはいけません。多くの場合、自身の業は他人に背負ってもらうことを期待できず、自分で耐え忍ぶしかなく、乗り越えればそれで良いのです。耐えられない業障などありません。人は皆、無始劫以来、こうしてやってきたのですから。
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