衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
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日常法話

2026年03月01日    日曜日     第2開示 合計4633開示

修道の後、意根が先んじて智慧を生じ、意識が後に智慧を生ず(2024-10-21)

如春が尋ねた:弟子は現在、ある問題が頭の中にずっと残っていて、何をしていてもその問題がいつもそこにあるように感じます。時にはしばらくの間、時には何日も続き、答えが浮かぶまで消えません。答えが出ると、忘れてしまわないかと急いで書き留め、答えが出た後もそれが正しいかどうか、どの部分が正しくてどの部分が間違っているか、どう表現すればより良くなるかなどを繰り返し考え、ずっと反芻しています。 

問題に遭遇すると、必ずそれを考え出し、書き出して、初めて安心して眠れます。そうしないと、意根が許さないようです。時には答えが出た後も、意識はまだ答えの内容を完全に理解しておらず、しばらく考え込んでようやく徐々に理解します。現在の矛盾は:意識の能力が意根に追いつかず、答えの良し悪しや正誤を判定できないことです。この状況は良いのでしょうか?

回答:問題が頭の中にずっと残って消えないのは、定力が増した証拠であり、問題が明らかになるまで一つの問題を抱え続けられるようになったのです。このような定力の条件下で、問題をずっと抱え続けるのは意根です。意識が問題を抱える時間は短く、移り気で、すぐに消えてしまいます。粘り強く持ちこたえるのは意根です。定力が不足していると、意根はそれを成し遂げられません。 

考えを書き留めるという行為は六識によって行われますが、書くという指令は意根が出します。憶念力が強くないときは、忘れてしまうのではないかと恐れ、考えを書き留めて記憶を固めたり、考えを保存したりしたくなります。禅定があっても、意根の思量を用いていても、智慧が不足しているときは、やはり考えの誤りを免れず、正しい結果を思量することはできません。続けていくことで、思いがけない収穫があるでしょう。

あなたが禅定と観行の智慧の両方が進んだ後、意識の智慧が意根の智慧に追いつかないことに気づいたのは、なんと素晴らしい発見でしょう!真の智慧が生じた後、確かに意根の智慧は大きく多く、意識ははるか後ろに追い付きません。これは、究極の根本的な智慧は意根から生じ、禅定後の観行の智慧は意根から生じることを示しています。修行はまず意根に智慧を生じさせ、意識の慧は意根の後に得られます。なぜなら、意根が疑情を懸けて疑情を参究するので、当然意根が先に疑情を解決して智慧を生じ、それを意識に伝えて知らせるからです。意識が知った後は、意根が証得したものを充分に理解する必要があり、そうして初めて慧が生じます。ですから、これは修行者が確かに意根で我見を断ち明心見性し、その後で意識に我見を断ち明心見性させること、意識が意根の後に智慧を生じることを証明しています。

目覚めた後にすぐにある問題を理解したなら、それは意根が先に慧を生じ、意識が後に慧を得たことを知るのです。一晩の間に意根が問題を思量して明らかにし、目覚めた後に意識が現れ、何もせずに意根の慧を取得し、意根が思量した問題を理解しました。この証拠はさらに、意根と意識が智慧を生じる順序の問題を説明しています。


——生如法師の開示
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