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日常法話

2026年02月27日    金曜日     第1開示 合計4627開示

金剛経講義:なぜこの経典を受持し広く宣説する者が如来の家業を担えるのか

持経功徳分第十五 原文:かくの如き人等は、即ち如来を荷担し、阿耨多羅三藐三菩提を得る者なり。何を以ての故に。須菩提よ、若し小法を楽しむ者は、我見・人見・衆生見・寿者見に著き、則ち此の経に於いて、能く聴受読誦し、人の為に解説することを得ず。

釈:このように金剛般若波羅蜜経を受持読誦することができ、かつ衆生の為に広く宣説することのできる人々は、彼ら皆如来の家業を荷担することができ、将来必ず阿耨多羅三藐三菩提を成就するであろう。何故に此の経は大乗菩提心を発する者の為に説かれ、最上乗を発する者の為に説かれるのか。須菩提よ、もし人が人天の小法を喜び楽しむならば、我見・人見・衆生見・寿者見に執着し、虚妄なる五蘊の為に人天の小善法を修行し、五蘊に人天の富貴栄華の果報を享受させてしまうであろう。彼は享楽すべき我あり、布施を受け入れる人あり、得るべき福ありと感じる。それゆえ彼は如来の説く我相無く、人相無く、衆生相無く、寿者相無き真実の法を信受せず、四相を離れた金剛の実相心(如来蔵)を信受しない。それゆえ彼は金剛経を読誦せず、実相如来蔵を証悟せず、ましてや他の衆生の為に大乗の実相法を演説することはない。

また、自我の解脱を楽しみ執着する小乗の者は、内心においても四相に執着し、自我たる五蘊の錯見を持つが故に、自らの五蘊なる自我が再び苦しみと輪廻を受けることを恐れ、急ぎ慌てて涅槃に入り、三界の生死を出離し、大乗菩薩法の修学に心を回そうとはしない。それゆえ彼らもまた此の経を聴受読誦せず、当然のことながら更に人に此の経典を解説することなどできようはずもない。

原文:須菩提よ、在在処処に、若し此の経有らば、一切の世間の天・人・阿修羅は、供養すべき所なり。当に知るべし、此の処は即ち是れ塔なりと。皆な恭敬すべく、礼を作し囲繞し、諸の華香を以て其の処に散らすべし。

釈:須菩提よ、如何なる場所においても、此の金剛経が存在するならば、即ち金剛不壊の心たる如来蔵が存在するならば、一切の世間の天・人および阿修羅は、皆な此の経典を供養し、大乗の如来仏を供養すべきである。汝らは知るべきである、此の経のある処は即ち一つの仏塔であり、一つの荘厳なる道場であると。全ての衆生は恭敬供養すべきであり、全身全霊をもって仏塔を囲み礼拝し、かつ種々の香華を此の処に散らし、香華をもって仏の塔廟を供養すべきである。

何故に此の経のある処は、皆な供養すべきなのか。此の経こそが法身仏であり、即ち如来であるからであり、此の仏を供養してこそ初めて最終的に仏となることができるからである。そして主として受持読誦をもって供養とし、依止修行をもって供養とし、初めて最終的に仏となることができるのである。何故に此の経のある処が即ち道場なのか。一切の修行は皆此の経を中心として修められるからである。一切の修行は皆此の道場の中で修められるからである。一切の法は皆此の道場より来るからである。一切の衆生を度す事業は、此の道場において実践されるからである。最終的に仏となることも、此の道場において成し遂げられるからである。一切種智は、此の道場において円満となるからである。一切の仏国土も、また此の道場において成就されるからである。何故に此の経に対し礼拝し囲繞すべきなのか。如何なる衆生、如何なる法も、根本的に此の経から離れることはできず、囲繞しなくとも囲繞しているのと同じであり、否応なくそうならざるを得ないからである。誰に無限の力があろうとも、此の経此の塔から離脱することはできないのである。

——生如法師の開示
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『金剛経』講義:なぜこの経典を受持すれば計り知れない果てしない功徳があるのか

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金剛般若波羅蜜経講義.能浄業障分第十六

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