衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2026年02月26日    木曜日     第2開示 合計4626開示

金剛経講解・なぜこの経を受持すると計り知れない無辺の功徳があるのか

持経功徳分第十五原文:若复有人。闻此经典。信心不逆。其福胜彼。何况书写受持读诵。为人解说。

解釈:須菩提よ、もしまた人がこの金剛経を聞いて、心に清浄な信解を生じ、四相の無い金剛般若心を深く信じ、その心が経の義理に背かないならば、その福徳は先のそれに勝る。ましてや書写し、受持し、読誦し、人のために解説する者はなおさらである。たとえば仏が無四相を説き、四相を破るといえば、この人は四相が実在し真実であるとは言わず、四相を執取して離れず、ということもなく、内心において自我を空しくし、自心を空しくすることを願う。この人の福徳は、無量百千万億劫の間、日々恒河沙の数ほど多くの色身を布施 (dāna) する人よりも、殊勝で勝り越えている。ましてやこの人は、信心清浄であるだけでなく、金剛経を読誦し、金剛心を証悟し、金剛実相心に依止して自らを修持することができ、さらに広く人のために金剛経を解説し、衆生を教導して金剛実相心を証悟させ、金剛経の広範な流布を護持することができるならば、この人の福徳は、色身という内財を布施する人をはるかに超えて勝るであろう。

原文:须菩提。以要言之。是经有不可思议。不可称量。无边功德。如来为发大乘者说。为发最上乘者说。

解釈:須菩提よ、要するに、この金剛経には、思議することのできない、称量することのできない、無量無辺の数多くの功徳がある。如来世尊は、大乗の菩提心を発した人のために説き、最上の仏乗の菩提心を発した人のために説かれるのである。

なぜなら、大乗の菩提心を発した人、大乗の根器 (indriya) を具えた人だけが、心量広大にして衆生を慈悲し、智慧深広であるからこそ、金剛経を読誦し、その義理を解し、実相を証悟することを願うのであり、その後にこそ如来蔵 (tathāgatagarbha) の法を受持し、如来蔵の法を伝播する能力を持ち、将来初地に入って、如来の家業を担い、無量の衆生を広く度することができるのである。

原文:若有人能受持读诵。广为人说。如来悉知是人。悉见是人。皆得成就不可量。不可称。无有边。不可思议功德。

解釈:もし人が金剛般若波羅蜜経を受持し読誦し、広く衆生のために如来蔵の実相の義理を開演することができるならば、この人のすべての善根と福徳、すべての智慧と功徳、衆生のために為したすべての事業を、如来はことごとく悉知悉見し、誤り漏れなく、隠されることもない。それゆえ、この人が為した衆生を利益するすべての事業は功不唐捐であり、少しも埋没されることはない。この人は将来、不可量、不可称、無有辺、思議不可思議の功徳を成就することになる。

なぜこの人が金剛経を受持読誦する功徳、衆生のために為したすべての功徳を、如来は悉知悉見するのであろうか。この如来とは、一つには色身如来を指し、一つには法身仏 (dharma-kāya-buddha) を指す。色身如来は、無量の神通徳能を具えているので、仏眼をもって観ずるがゆえに、この人が金剛経を受持読誦するすべての功徳を悉知悉見し、この人が無量の衆生を度化するすべての功徳と福徳を悉知悉見し、一つとして漏れることがない。仏は無量智を具え、一切種智 (sarvākārajñatā) を有し、世出世間において一法として知らないものはなく、一法として見ないものはなく、大千を円満に照らして、一つとして漏れることがないからである。

また法身仏 (dharma-kāya-buddha) は、いつどこでもこの人に随伴しているので、この人が為すすべてのことには、必ず法身仏 (dharma-kāya-buddha) の照応と護持がある。法身仏 (dharma-kāya-buddha) とはこの人の如来蔵 (tathāgatagarbha) であり、如来蔵 (tathāgatagarbha) はこの人の心行を了知し、この人に配合してすべての事業を完成させ、また衆生の業種を記録し収蔵するからである。それゆえ、この人が為したすべてのことを如来蔵 (tathāgatagarbha) は悉知悉見し、業種はことごとく収蔵され、将来この人のすべての功徳の果報を実現させることにより、この人の行いは功不唐捐となり、最後には円満に仏と成ることができるのである。

——生如法師の開示
前へ前へ

意根の求め

次へ 次へ

金剛経講解.なぜこの経を受持し広く宣説する人は如来の家業を荷担することができるのか

ページトップへ戻る