衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年02月25日    水曜日     第1開示 合計4623開示

AIは簡単な意識心の機能しか代替できない

ある人は仕事をAIに取って代わられ失業し、ある人は卒業しても何の役にも立たないと聞く。ではこのような背景と環境の中で、どうすればAIに取って代わられず、AIの先を行くことができるのだろうか。

弟子が言う:AIが取って代わるのは統計・帰納・分析などの仕事で、効率は非常に高い。しかし人と人との複雑な交流に関わることについては、やはり人が出面してコミュニケーションを取る必要があり、修行して求証するようなことはすべて自分でやらなければならない。

評点:AIはすべて意識の機能・作用であり、発明創造ができず、革新もできない。それは革新する人の後についてコピー・ペーストし、整理・帰納し、さらに情思意解するだけで、プログラムの枠組みの外に出ることはできず、革新する人の知恵を超えることはできない。世の中に存在しないものは、AIには作り出せない。だから人類がAIに取って代わられたくないなら、革新するしかなく、自らの潜在能力を開発するしかない。

開発・革新というようなことは、意識には絶対にできない。意識はたとえ海闊天空な空想を巡らせることができても、空想したものを創造することはできない。革新・創造の機能は意根だけが持ち、六識がそれに協力するものである。AIは文字・言語や肢体の動作をコピー・ペーストして模倣し、文字を整理・帰納・分類・編成することはできるが、人類の思想や感情はAIにはコピー・ペーストできない。おそらく模倣はできるだろうが、模倣したものは本物ではない。だから思想や感情は心の奥深くにある意根から来るもので、非常に隠秘で細やかである。AIは粗く表面的な事物を模倣することしかできず、偽で真を乱して完全に人類に取って代わることは不可能である。意根に思想や感情・情緒などがある以上、そこには種々の煩悩心所法と善心所法があり、識心所が備えるべきすべての心所法を具足しているはずである。

仏法の聞・思・修・証の四つの段階において、AIは人類の聞思を取って代わり、それを超えることはできるが、修証を持つことは永遠にあり得ない。なぜなら聞思は意識の機能であり、比較的単純で、コピー・模倣・代替が可能だからである。しかし修証の機能はAIが備えることは不可能であり、金属の機械は心を持たない。心がなければどうして修行できようか、まして証得などできるはずがない。波旬は当初仏法の会に入り、極めて多くの仏法を聞き、聞思することができ、記憶することもでき、知識量は豊富であったが、貪欲が盛んであったため、心を修証に向けることがなかった。彼はAIと同じようなものであり、おそらくAIを超えてはいるが、修証がないのである。もし波旬に修証があれば、あれこれと手段を尽くして仏法を破壊することもなく、あれこれと手段を尽くして衆生の修行を妨げることもなく、ましてこのように欲界の种种を貪り恋うることもなく、ひいては大悪業を造ることもなかっただろう。

——生如法師の開示
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衆生は皆、画地為牢の者である

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意根と意識の配合関係

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