意識の現量とは、知の正しさが現量であり、了知する法が如実に誤りないことが現量である。事実に符合することが現量であり、真理に到達することが現量であり、比較することなく知り、知の正しさが現量であり、想像妄想することなく知り、知の正しさが実際の状況に符合することが現量である。もし意識がすべて現量であるならば、意根の非量は必ずそれに伴って転換され、一切法を如実に知ることとなる。
目で林檎を見ながら、それを梨と認識するのは非量であり、現量ではない。目を開きながら虚言を吐くのは非量である。幼少期の出来事を回想し、一事を明白にするのも現量である。前世の色身が我ならざることを観察し、後世の色身が我ならざることを観察し、正しく観察する時、それが現量である。一神通で無量劫前の人々と事柄を知ることは現量であり、無量劫後の事を知ることも現量である。
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