衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年01月31日    土曜日     第1開示 合計4596開示

如来蔵を証悟する前の修行境界(2025-07-11)

釈如願:師父、この二日ほど夜になると、不眠症なのか、意根が精進しているのか、それともどうなのか、とにかく眠れないのです。横になっても座っていても、頭の中で仏号の声が絶えず、師父が私に教えてくださった法義を参じることも頭の中で絶えず巡っています。昨夜はどうしても眠れず、夜の十時半過ぎに横になってまどろみ始めた頃、頭の中に明るい太陽が現れて私を照らし、目を覚まさせました。目覚めると熱く興奮した感じがあり、心が動いて一晩中眠れず、口が渇いて、水を三、四回飲んでも渇きが癒えませんでした。しばらくして横になり、眠りにつこうとした時、うとうとしながら老人のような優しい声が「早く用功しなさい」と私に言うのが聞こえました。もともと眠れなかったので、起き上がって法義を観じると、頭の中には観きれないほどの法義があるように感じられました。
評点:釈如願が眠れないのはどういうことか。原因は「神満ちて睡を思わず」だからである。神とは具体的に何を指すのか。神とは一人の人間の精神的状態を指す。体内のエネルギーが十分であれば、精神的状態は良く、人は精気があって昏沈せず眠くならず、過剰な睡眠によってエネルギーを補う必要がない。神が不足している人は、なぜ必ず睡眠を必要とするのか。身体のエネルギーが不足して消耗が多ければ、精気が不足し、睡眠によってエネルギーを補う必要がある。衆生はなぜ睡眠を必要とするのか。娑婆世界の人類は、色身が実の四大種子から構成されており、段食によって生成される気血によって色身の正常な運行を維持する必要がある。気血こそがエネルギーの源であり、気血が十分であればエネルギーも十分で、人は精気があって昏沈しない。
禅定と睡眠はいずれも気血を補い調節することができる。それゆえ人は睡眠を必要とするが、禅定は睡眠に代わって気血を補うことができる。睡眠はエネルギーを補充するが、身体が必要とするエネルギーとは、身体の五臓六腑や筋骨、筋肉、皮膚などを濡養する気と血である。昼間は五蘊の身口意の活動が一定の気血を消耗するので、夜間の睡眠時に五臓六腑の気血が自動的に調節され、調節が十分に行われると自動的に目が覚める。したがって昼間に消耗した分が多ければ多いほど、夜の睡眠の中で補充すべきものが多くなり、睡眠時間が長くなる。雑念妄想も同様に気血を消耗する。禅定が気血を調節できるのは、禅定の中では身心が動かないため、一つには気血の消耗を減らし、二つには四大を補充し、気血を調節できるからである。それゆえ禅定が深いほど気血が十分になり、睡眠を必要としなくなる。だから禅定のない人は睡眠が多く、禅定のある人は神を養うことができ、睡眠が少なくなる。
釈如願は初禅定があるので、自然に神が足りて睡を思わず、睡眠が少ない。彼女は初禅定に入ってから、以前未到地定 (anāgamya-samādhi) にあった時より睡眠がさらに少なく、毎晩二、三時間眠れば十分である。しかし、なぜこの二日間は一時間の睡眠すら取れないのか。一つには、内心が清浄 (viśuddha/pariśuddha) で光明があり、明るい太陽が彼女を照らして参禅悟道させようとするので、彼女は睡眠を取らずに用功して禅を参じたからである。二つには、彼女には護法神がいて精進して道を修めるよう督促し、わざと眠らせず、眠りにつくと起こすからである。これは慈悲深く責任感のある護法神の護持の働きである。彼女の近くに住んでいる人も影響を受け、夜に何度か起こされた。
なぜ釈如願の護法神はこれほど責任感が強いのに、他の人は護法神の存在を感じられないのか。戒行を守り、願心があり、精進して修行したいと思う人であれば、誰もが護法神の護持と守護を受けているが、一般の人はそれを感じられない。もし根器 (indriya) が非常に優れ、修行が勇猛な人であれば、護法神の護持の働きは非常に大きくなる。護持の働きの大小や顕著かどうかは、修行者の善根、道力、願力、そして修行の階層にかかっている。

——生如法師の開示
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釈如願の覚悟(2025-12-07)

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