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日常法話

2026年01月28日    水曜日     第1開示 合計4593開示

金剛経講解.なぜ実相もまた非相なのか?

離相寂滅分第十四原文:世尊。是实相者。即是非相。是故如来。说名实相。

解釈:須菩提はまた世尊に申し上げました。世尊よ、如来の所説の実相とは、一つの法相もないものであり、神様には三界世間のいかなる法相もありません。それゆえ、如来は神様の名を実相と名付けられたのです。

実とは、真実であり、虚妄でないこと、真実に存在するという意味です。神様は真実に存在し、証得できるものであるがゆえに、無量無辺の諸仏菩薩は、すでに皆その神様を証得しており、しかも無量無辺の福徳と智慧をも具足しています。もし神様が実有でなく、単なる名詞概念、単なる名相にすぎないなら、証得することに何の意味もなく、般若大智慧を生み出すこともできず、まして仏道を成就することもできません。金剛般若心は真実に存在するものであり、真実の有であり、体性は常に存し、作用は真実であるがゆえに、衆生は禅を参じて神様を証得することができ、そこから仏法における大富長者となるのです。

金剛般若心の体は実相であり、体性は真実であるとはいえ、神様を世間と照らし合わせて、その世間相を探し求めようとしても、それは得るべくもありません。神様は世俗法ではなく、世俗相ではなく、色相もなく、声相もなく、香相もなく、味相もなく、触相もなく、六塵の法相もないのです。それゆえ、実相とはすなわち非相なのです。神様を探し求めて証得しようとするなら、この世俗の六塵相を離れ、七識の覚知心相を離れ、五蘊相を離れて、これらの相のないその心体を識得しなければなりません。

そして神様を証得するには、これら五蘊の世俗相の中で参究しなければなりません。実相と世俗相は緊密に連なり、相互に依り頼み合い、互いに離れません。実相は世俗相に依って自身の徳能と利用を顕し、世俗相は実相に依ってこそ存在し運行し、表面の虚しい作用を生じることができるのです。両者はまさに束蘆のごとく、互いに依り合っています。

原文:世尊。我今得闻。如是经典。信解受持。不足为难。若当来世。后五百岁。其有众生。得闻是经。信解受持。是人则为。第一希有。何以故。此人无我相无人相。无众生相。无寿者相。

解釈:須菩提は言いました。世尊よ、私は今このような甚深の経典を聞くことができ、清浄な信心を生起させ、実相を証得し、その中の法理・義趣を深く解し、その中の般若の義味を深く領受しただけでなく、発心してこの経典を受持し流通することもできます。私が今このようにできたことは、まだ難しいことではありません。世尊であるあなたがたの親しい教導と加持があるからです。もし未来の末法世の最後の五百年に、衆生がこの経典に出遇い、如来蔵の実相の法門を聞くことができたなら、その人は希有難得な大福徳の人です。さらに清浄な信を持ち、金剛心を正しく解し、金剛経を受持するなら、この人は第一の希有の人です。なぜこの人が第一の希有の人なのか。この人はすでに我相がなく、人相がなく、衆生相がなく、寿者相がないからです。

仏法がまさに滅びようとする最後の五百年においては、世間はさらに濁悪となり、衆生の煩悩はより重く、善根はより少なくなります。その時に衆生が金剛経を聞くことができるというのは、善根と福徳が非常に深厚であることであり、聞いた後に非常に信受け、さらに金剛心を証解し、金剛経を護持流通するなら、この人は善根が極めて深厚な人であり、非常に希有な久しく修行してきた菩薩です。金剛心を証得した後、五蘊の空の理を明らかにすれば、この人の心には我相・人相・衆生相・寿者相がなくなります。これらの相は五蘊に依って有るものであり、五蘊が一たび空となれば、四相はたちどころに消え、徳相が顕現し、すなわち希有な聖賢となるのです。

その時、普遍的に相に執着する世の中において、この人は無相の金剛般若心を証得し、内心に四相を離れているので、この人は希有難得なのです。この人は実相を証得した後、内心に五陰の我相がなくなり、もはや五陰を我と認めない、すなわち断我見(ahaṃkāra-mamakāra-parityāga)の人となります。同時に、その内心において、我相に似た人相をも消し去り、もはや人相を真実と認めません。さらにこの人は、我相や人相に類似した衆生の五陰相も、すべて虚妄で真実でないことを知り、内心において衆生相を捨てます。さらに一歩進んで、衆生の五陰に依って有る寿者相も、虚妄で真実でないことを観察します。衆生の一期一期の寿命は、幻化の五陰に依って存在しており、五陰がすでに虚妄であるなら、寿命はなおさら虚妄で真実でなく、それゆえ寿者相もまた泯滅するのです。この四相を離れることのできる人は、あの末法の世において、実に甚だ希有難得なのです。


——生如法師の開示
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金剛経講解.離相寂滅分第十四

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釈如願の観行 (vipaśyanā-caryā) 総結(2025-9-20)

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