(下文に図版二あり)念仏三昧が成就した時、十方の諸仏が目前に現れ、眼識によってはっきりと見えるが、他人には見えない。これはいかなる境地か。
白骨観が修成された後、あらゆる人々が白骨となって連なり、極めて明瞭に見えるが、他人には見えない。これはいかなる境地か。観無量寿経において、第一観である日想観が成就すると、目を開けても閉じても、落日が鼓を吊るしたように目前と心中に現れるが、他人には見えない。これはいかなる境地か。十六観の各観が成就した後、それぞれ対応する境地が現れ、眼識によって見えるが、他人には見えない。これはいかなる境地か。
目から金星が飛び散り、きらきらとした光が眼前に舞うが、他人には見えない。これはいかなる境地か。蜃気楼は誰の目にも見えるが、これは何色なのか。例えば目から飛び散る金星は、金色の星か黒い星か。白骨観における白い骨、落日が赤々と輝く色彩など。これはいったいどういうことか。
眼識は色彩を見る――赤・橙・黄・緑・青・藍・紫・黒・白。眼識が関与する見方は独影境ではありえない。しかし如何なる禅定において見られる色も、全て独頭意識による見方であり、眼識は伴わない。回想の中で現れる色彩、夢の中で見る色彩は全て独頭意識による見方であって、眼識による見方ではない。ここには眼識は存在しない。
(注:専門用語の統一訳例) ・念佛三昧 → 念仏三昧 ・白骨观 → 白骨観 ・观无量寿经 → 観無量寿経 ・日观 → 日想観 ・十六观 → 十六観 ・眼识 → 眼識 ・独影境 → 独影境 ・独头意识 → 独頭意識 ・禅定 → 禅定
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