衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年01月25日    日曜日     第1開示 合計4590開示

如来蔵を親証した際の身心の反応(25/7/13)

釈如願:この数日間、不可思議な体験を経て、私の禅定はさらに深く確固たるものとなりました。頭の中の法義が明瞭に絶えず湧き出て、終日三昧の中に住しています。妄念を起こして何かに縁取ろうとしても全く意のままにならず、まるで神秘的な力が頭の中の念を浄化しているかのようです。心は明るく喜びに満ち、全身が軽やかで、言葉では表現できません。師匠、三昧の中に住むことのなんと不思議なことでしょう!
師匠が「死屍を引きずるのは誰か」という公案を参じるようおっしゃって以来、突然、先日師匠が「棒で打つ」とおっしゃった言葉を思い出しました。私はその言葉の意味を即座に悟りました。それは…(中略:如来蔵の働きを直指する百字余り)、心では理解しているものの、詳細は言葉で表現できません。

昨日の午後2時頃、私は公案を参じていました。突然、先日師匠が私に「棒で打つ」とおっしゃった言葉を思い出しました。当時は師匠の問いに答えることができませんでしたが、その秘密が突然明らかになりました。その瞬間、私は感激のあまりすぐに師匠に跪拝して感謝の意を表したいと思い、弟子に対する師匠の深い思いやりに心から感謝しました。
この二日間は本当に不思議で、眠れないのにむしろ精神が充実し、まるで五蘊の色殻を一新したかのように軽安で喜びに満ちています。突然また師匠が「棒で打つ」とおっしゃった言葉を思い出しました。これは師匠が私を棒で打ちたいわけではなく、師匠は…その瞬間、突然目の前に光明が現れ、師匠が私を棒で打つ真意が心に明らかになりました。それは慈悲をもって弟子を導き、自性を悟らせ、自らの宝蔵を見つけさせるためだったのです!その時、私は以前何度かそうであったように、感動で長い間涙を流し、鳥肌が立つほど感動して全身が震え、頭が突然真っ白になってしばらくしてようやく我に返りました。昨夜から今朝にかけて法義を思惟するたびに、涙が止まりませんでした。心ではこれが師匠の深い思いやりであり、巧みな方便をもって弟子を導こうとされているのだと理解しています。師匠に感謝します!私は今後、如来蔵が五蘊の身においてどのように作用するかを心を込めて細やかに参究していきます。

講評:今回、釈如願は真に悟りを証得しました。一点の疑いも曖昧さもなく、如来蔵の総相智が生起し、五蘊の身における如来蔵の粗い全体的な働きが明瞭で、全く曖昧ではありません。初禅定の中で、解悟が証悟へと転じるのは、あたかも遊ぶかのように容易でした。釈如願が終日三昧の中にいる時に、軽く指摘するだけで、参究を経て彼女は自ら法界の実相を証得しました。悟りを開いた時、内心の喜びは言葉に表れ、その後覚明が現れ、精神は充実し睡意はなくなり、全身が軽安自在となりました。如来蔵の働きについての表現は粗いものの、心の中では確信に満ちています。

師匠はただ「棒で打つ」とおっしゃっただけで、実際に打たれたわけでもないのにこの効果です。もし本当に打たれたら、効果はもっと良くなるのではないでしょうか? 見ての通り、中には本当に打たれる必要がある人もいるようです!しっかりと何度か打てば、悟らなくても悟りに近づくでしょう。師匠である私は子供の頃から人を打つのが好きでしたが、これで腕の見せ所ができました。打たれたい方は、師匠に一言お申し出ください。

禅定を得る前提として、福徳を修めなければなりません。福徳が不足していると、禅定は生じません。禅定に福徳が加わって智慧が生まれます。禅定だけでは不十分です。あなた方がその鍵を手に入れ、鍵を作る技量を身につけた時、師匠である私はいつでも安心して去ることができます。あなた方も「師匠、どうぞ安心してお去りください。私達は立派に修行を続け、問題は起こしません」と言えるでしょう。これとは反対に、私がどうしても去らなければならない時、ある人々は私の衣の裾を死に物狂いで掴み、腕を引っ張り、涙と鼻水で顔を濡らして離そうとしません。なぜこうなるのでしょうか? それはまだ生活の術を学んでおらず、餓死を恐れているからです。別れは必然であり、誰も永遠にあなた方を養うことはできません。一日も早く独立を学び、自活できるようになるべきです。

——生如法師の開示
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