如法受持分第十三原文:须菩提。于意云何。三千大千世界所有微尘。是为多不。须菩提言。甚多。世尊。须菩提。诸微尘。如来说非微尘。是名微尘。如来说世界。即非世界。是名世界。
解釈:仏はおっしゃった。須菩提よ、あなたはこのことをどう思うか。三千大千世界にあるすべての微塵は多いと言えるだろうか。須菩提は答えて言った。非常に多いことでございます、世尊。仏はおっしゃった。須菩提よ、すべての微塵は、如来が説くところによれば微塵ではなく、それを仮に微塵と名づける。如来が説く世界もすなわち世界ではなく、それを仮に世界と名づける。すべての微塵について、如来が説くところによれば、真実の微塵相はなく、すべては仮相であり、その仮相に微塵という名をつけたのである。微塵が組み合わさってできた三千大千世界も、如来が説くところによれば世界ではなく、真実の世界相はなく、すべては幻化されたものであり、これらの幻化された仮相に、仮に世界と名づけたのである。
三千大千世界にある微塵は、如来蔵が含蔵している四大の種子によって現れたものであり、実有ではない。この生滅する顆粒の物質に微塵という名をつけたのであるから、微塵とは仮の名詞、一つの概念にすぎない。世界も同様であり、共業の衆生の如来蔵が、衆生の業縁に応じて地水火風の四大の種子を送り出し、衆生が生存する世界を変現したのであり、縁が尽きる時、世界は散壊して滅んでいく。だから世界は実有でも真有でもなく、ただ衆生が生存する器世間に世界という名をつけたにすぎない。因縁によって生じた法はすべて実有ではなく、すべて空法と仮法であり、いずれも仮の名詞と概念にすぎないのである。
多くの微塵が組み合わさってできた大千世界は、衆生の五蘊が生存する外在の空間であり、世俗界の色法の部分である。ここに至って、如来はこの部分の色法の法相を破除された。では、世俗界の五蘊世間に真実相はあるだろうか。真実相はなく、すべては虚幻の仮相であり、仮に世界と名づけ、仮に世間と名づけ、仮に世俗界と名づけ、仮に五蘊と名づけたのである。五蘊が仮名である以上、五蘊が行うすべての事業、すなわち菩提心を発すること、自利利他の菩薩道を行くこと、法を説いて衆生を度すること、法を証し法を得ること、菩薩の果および仏果を成就すること、仏国土を建立すること、これらすべては虚幻で空であり、真実相はない。それならば、あなたも私も彼も彼女も、この虚幻の世間において、いまだ何を執著することがあろうか、いまだ何を執取して捨てないことがあろうか。
なぜこのようなすべての仮相・仮名があるのか。あの金剛不壊心があるからである。神様は因縁によってこのすべての法を成就された。成るものには必ず壊れることがあり、本来あって有るものだけが壊滅しないのである。衆生は無始劫以来、真相を識らず、仮相を真相として執取してきたからこそ、生死輪回の苦があるのである。今、金剛の法を修学した以上、速やかに実相を証得し、真性に回帰し、涅槃の彼岸に至り、生死を流転することがないようにすべきである。
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