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日常法話

2025年12月27日    土曜日     第1開示 合計4563開示

金剛経講解・無為福勝分第十一

原文:须菩提。如恒河中所有沙数。如是沙等恒河。于意云何。是诸恒河沙。宁为多不。须菩提言。甚多。世尊。但诸恒河尚多无数。何况其沙。

解釈:須菩提よ、恒河の中のすべての砂の数のように、これだけ多くの砂の数と同じ数だけの恒河があったとして、あなたはどう思うか。それらの恒河の中の砂は、多いと言えるだろうか。須菩提は言った、非常に多いです、世尊。あの恒河そのものだけでも数え切れないほど多いのに、ましてその中の砂はなおさらです。

原文:须菩提。我今实言告汝。若有善男子。善女人。以七宝满尔所恒河沙数、三千大千世界。以用布施。得福多不。须菩提言。甚多。世尊。佛告须菩提。若善男子。善女人。于此经中。乃至受持四句偈等。为他人说。而此福德。胜前福德。

解釈:須菩提よ、私は今あなたに真実の言葉を告げよう。もし善男子・善女人が、すべての恒河の中の砂の数ほど多い三千大千世界に七宝を満たし、それを布施に用いたならば、得る福徳は多いだろうか。須菩提は言った、非常に多いです、世尊。仏は須菩提に告げた、もし善男子・善女人が、この金剛経の中で、金剛経全体を受持し、さらには四句の偈などでさえ、他人のために説くならば、その福徳は先の布施七宝の福徳をはるかに勝る、と。

この品の前半の部分は理解しやすいのですが、後半の、金剛経を受持して人のために説く福徳は布施七宝の福徳に勝るという部分は、理解しにくいものです。そこで、なぜそうなるのかを見ていきましょう。七宝を布施する福徳はすべて有為の福であり、この種の福は消耗し尽くせるもので、享受し尽くせるものであり、しかもその大多数は世俗法の中で享受されるもので、道心がなく、智慧がないときには、福が大きくなると大きな悪業を造りやすくなり、大きな悪業の果報を受けることになります。

魔王波旬のように、人間であったときに修めた福報は非常に大きく、死後に欲界の最高層の天――他化自在天に生まれて天主となり、欲界の衆生を管轄していますが、常に自分の支配する衆生がますます増えることを望み、衆生が減ることを望みません。もし修道の人が初禅に到達すれば、彼は妨害しに来ます。仏が法を説かれているときでさえ、彼は障害を加えに行きます。その目的は、衆生に欲界を出て自分の支配から脱してほしくないからです。末法において、彼は法を破るために、しばしばさまざまな姿に変じて仏教の中に紛れ込み、法を破ります。正法を邪法と言い、邪法を正法と言い、衆生はそれを識別できず、それに依って修行しても、解脱を得ることはできず、みな魔王の支配の中にあります。波旬の魔福が享け尽くされれば、地獄に堕ちて悪報を受けなければなりません。だから、福があっても智慧も道もなければ、良いこととは言えないのです。

では、金剛経を読誦し、金剛心を証悟すれば、その福は無量無辺の広大なものであり、無量の威徳と利用を得ることができます。第一に、我見を断じ、三縛結を断じて、永遠に三悪道に堕ちて苦を受けることがなく、解脱の功徳受用を得ることができます。第二に、智慧はますます深く鋭くなり、智慧があればより多くより大きな福徳が得られます。第三に、定共戒と道共戒を得て、もはや身口意の悪業を造作することがなく、苦受はますます少なくなり、修める善法はますます多くなり、楽受はますます大きくなり、天上人中の楽受は無窮です。

第四に、寿命はますます長くなります。もし天上で菩薩となり菩薩道を行くならば、寿命は数千年から数万年におよび、その他の仏国土でも極めて長い寿命です。八地菩薩まで修めば、分段生死 (pariccheda-maraṇa) を断じることができ、寿命は一段一段、一期一期のものではなくなり、寿命は無尽に長くすることができます。第五に、四大種子の構造を自在に変えることができ、自在に一切の物質を変現することができます。衆生の生活の資具、七宝百宝、山河大地、さらには大千世界まで変現できます。第六に、甚深の禅定を得ることができ、無量の神通三昧 (samādhi) を発起し、分身無数となって無量の衆生を度脱することができます。第七に、極めて殊勝な物質の富を変化させることができ、広く大衆を利益し、さらには三千大千世界を変化させて菩薩道を行い、衆生を利楽することができます。第八に、最終的に仏道を成就し、菩提を円満し、三界の尊となり、福徳と智慧は無窮無尽となります。

金剛経を受持して証悟した後は、智慧がますます広大になり、人のために仏法を宣説する能力が備わり、他人にも証悟させることができます。法布施 (dāna) そのものの福徳は非常に大きいものであり、衆生が受益すれば、福徳はさらに大きくなります。仏道を成就する三つの無量数劫の中で、衆生の生老病死の苦を度脱することにより、無量の衆生と縁を結び、将来には多くの弟子が随学してくることになり、これによって自分の仏国土を建立することができます。一つの国土の建成には、各階層の弟子たちの構成が不可欠であり、弟子がなければ国土を建立することはできず、まして仏道を成就することはできません。弟子たちを導いて修行させ、弟子たちが成就してこそ、自分の修行も一つ上の段階に進み、より高い果位を得ることができるのです。だから、金剛経を受持読誦し、金剛心を証悟するこの福徳は、無量の広大なものなのです。

金剛心はまた無為の心であり、三界の法の心行がなく、何ら作為しません。まさに何ら作為しないからこそ、すべてを為すことができ、一切の法を成就することができるのです。無為の心の中に含蔵されている福徳は極めて大きく、永遠に磨滅することのできないものであり、誰にも破壊できず、誰にも奪うことができません。では、この無為の福はどれほど殊勝なものでしょうか。言葉では言い表せず、七宝を布施する有為の福にはるかに勝っており、比べものにならず、説くこともできません。


——生如法師の開示
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