衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年12月14日    日曜日     第1開示 合計4549開示

釈如願が念仏三昧 (samādhi) を修する方法と過程

以前の私は禅定(じょう)を修するとはどういう意味なのかも分からず、念仏 (buddhānusmṛti) とはどういうことなのかも分からず、ただ学んでひたすら念じていました。念じていくうちにとても疲れを感じるようになり、小さな声で念じ始めましたが、小さな声でもやはり疲れて念じきれず、その代わり少しばかり定力がついたのかもしれません。当時は何も分からず、まして念仏定を修するどころか、禅定が何のためにあるのかも知らず、念仏は良いことだと聞いていただけでした。

私は学仏を始めてから、朝晩に金剛経と弥陀経を一遍読誦し、仏に礼拝するほかは、残りの時間はずっと念仏をしていました。念じていくうちにとても疲れを感じるようになったので、小さな声で念じたり黙念したりするようにしましたが、それでもやはり疲れを感じ、全身に力が入らず動きたくもなくなり、ぼんやりと眠そうに座ったまま念じきれなくなりました。当時はそれが空定だとも知りませんでした。

2019年のことでした。こうした事情を何も知らないまま、ちょうど生如師父にお会いし、庵(いおり)に来ていただいて菩薩戒を受け、仏の拝み方と呼吸念仏で定を得る法門を教えていただきました。一年だったか二年だったか、期間は忘れてしまいました。ある時、うっかりしているうちに、脳裏に仏号の声が聞こえてきました。どういうことなのか分からなかったので、不思議に思いながら手で耳をほじくってみたりして、師父にお尋ねしたところ、開示ではそれは念仏三昧 (samādhi) だとのことでした。その後さらに、師父の法義を請うて現在まで学んでまいりました。

最初は声に出して念じ、慣れてきたら小さな声で念じ、さらに慣れたら黙念し、さらに念じ慣れたら心で念じて心で聴くようにします。その後さらに念じることに慣れてくると、少し定力がついたようになります。そこでしばらく念じてから止まり、脳裏に念仏の声があるかどうか聴いてみます。もし無ければ、定力はまだ深くありません。さらに念じ続け、聴き続け、心が聴いて心が念じるところまで念じれば、こうして深くも浅くもない定になります。その後さらに、口で念じなくても、脳裏の仏号の声が聴こえるようになり、聴こうとしなくても制御できなくなります。これで甚深の念仏三昧を証しました。甚深の三昧 (samādhi) の中では、自分の脳裏の仏号の声だけでなく、風の音、車の音、鳥の鳴き声を聴いても、すべて仏号の声として聴こえます。さらに、考えなくても見なくても、脳裏に自動的に法義が現れます。これが定を修する念仏の功徳の成就です。念仏三昧の成就を望む同修の善友の皆さん、この方法に従って修めば、皆さんも成就できるのです。

——生如法師の開示
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