衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年03月06日    水曜日     第2 回の開示 合計1312回の開示

意根の念力は業力に等しい

意根の慧力と念力は必ず定力と分離できません。この三者は決然不可分離です。命終時、中有身及び転生後、全ては意根の慧力に依存します。意根の慧力が良ければ、念力も良く、临终時に意根の念力によって転生し、後世の命運を決定します。意根の念力は業力に相当します。もし意根の善願が強ければ、正念も強く、修行によって悪業の力を変更し、善業は悪業より大きいことを説明します。もし意根の悪念が強ければ、悪業も強く、この人は修行得力せず、临终時及び転生時に強者に随って牽引されます。意根が佛法を証得せず、临终時及び転生時には聖人ではなく、依然凡夫であり、凡夫の命運を持ち、命運に随って生死流转します。もし意根の智慧を強化せず、意根の智慧に依存せず、一生修行の功徳は無用となります。

例えば憶佛念佛は正念です。临终時に意識弱く、念佛を思い出せず、或いは无力念佛,もし念佛が意根に熏染せず、意根が念佛の習慣を養成せず、意根も念佛を知らず、この時には佛と相应せず、佛の接引を感应できず、只好業に随って漂泊し、生死流转します。結果一生念佛は僅一点の种子を存し、命終時には作用起きません。僅意識を抓る人は深入修学せず、果報は如此です。

——生如法師の開示
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