優婆塞五戒相経 第一節 原文:殺を讃嘆することに三種あり。一には悪戒の人。二には善戒の人。三には老病の人。悪戒の人とは、牛や羊を殺し、鶏や豚を飼い、鷹を放って魚を捕らせ、狩人として兎を囲い、麞や鹿などを射る者。盗賊の首領や刑吏、竜を呪い獄を守る者なり。もしこの人々の所に至り、このように言う。「汝ら悪戒の人よ、なぜ長く罪を作るのか。早く死ぬがよい」と。この言葉によって死なせた者は、不可悔の罪なり。もし死なせなかった者は、中罪可悔なり。もし悪人が「私はこの言葉を用いない」と言い、それによって死ななかった者は、中可悔の罪を犯す。
釈:殺を讃嘆するには三種の場合がある。第一は悪戒人に対する讃嘆で、死を勧めるもの。第二は善戒人に対する讃嘆で、死を勧めるもの。第三は年老いた病人に対する讃嘆で、死を勧めるものである。悪戒人とは戒を持たず悪業を造る者、例えば牛や羊を屠る者、鶏や豚を飼う者、鷹を放って魚を捕らせる者、狩人として兎を囲う者、麞や鹿などを射るこれらの悪人、また盗賊や刑吏、竜を呪い獄を守る者などを指す。
もし優婆塞がこれらの人の住処に至り、このように言う:「汝ら悪人よ、なぜ長く悪業を造り続けるのか。早く死んだ方がよい」と。もしこれらの人がこの言葉によって自殺したならば、優婆塞は不可悔の罪を犯す。もしそれらの人がこの言葉によって死ななかったならば、中可悔の罪を犯す。
原文:もし人を讃嘆して死なせしめ、後に悔いてこう思う。「なぜこの人に死を教えたのか」と。再びその住処に赴き言う。「汝ら悪人は、あるいは善知識の因縁によって、善人に親近し、善法を聞き、正しく思惟し、悪罪を離れることができよう。自殺してはならない」と。もしこの人がその言葉を受け入れ死ななかったならば、中可悔の罪なり。
釈:もし優婆塞がこれらの人を讃嘆して死を勧め、後悔して思う:「どうして彼らを誘導して死なせようとしたのか」と。再び彼らの住処に赴き言う:「汝ら悪業を造る者よ、将来善知識に遇う因縁によって善人に親しみ、善法を聞き、正しく思惟し、造った悪業と罪悪を断じることができよう。自殺してはならない」と。もしそれらの人がその言葉を受け入れて死ななかったならば、優婆塞は中可悔の罪を犯す。
なぜ悪業を造る悪人にも自殺を勧めてはならないのか。仏法は一人も見捨てず、善悪を問わず全てを普く度すからである。悪人も機縁があって善知識に遇い善法を授かれば、信受奉行して悪業を消し、自心を改め、三悪道の命運を変えることができる。たとえ善知識や善法に遇えなくても、自らの悪行を反省し、少しずつ懺悔して善に向かい、命運を変える可能性もある。
原文:善戒の人とは、如来の四衆なり。もし諸の善人の所に至り、このように言う。「汝は善戒を持ち福徳ある人なり。もし死ねば天福を受ける。なぜ自ら命を奪わないのか」と。この言葉によって自殺したならば、不可悔の罪なり。もし自殺しなかったならば、中可悔の罪なり。もし善戒の人が「なぜ彼の言葉を受けて自殺しようか」と思い、死ななかったならば、この罪は可悔なり。もし人を教えて死なせた後、心に悔い「私は誤っていた。なぜこの善人に死を教えたのか」と思い、再び赴き言う。「汝善戒の人よ、寿命に随って住せよ。福徳は益々多くなるゆえ、受ける福も益々多し。自ら命を奪うなかれ」と。もしそれによって死ななかったならば、中可悔の罪なり。
釈:善戒人は心善き持戒者で、如来の四衆弟子である。もし優婆塞がこれらの人の住処に至り、このように言う:「汝らは善戒を持つ福徳ある人、死ねば天人の福徳を享受する。なぜ自殺しないのか」と。もしこれらの人がそれによって自殺したならば、優婆塞は不可悔の罪を犯す。もし自殺しなかったならば、中可悔の罪を犯す。もし持戒者が「なぜ彼の言葉を聞いて自殺しようか」と思い、死ななかったならば、優婆塞は可悔の罪を犯す。
もし優婆塞がこれらの人を誘導して自殺させた後、自らの言行を悔い:「私は誤っていた。どうしてこれらの善人を誘導して自殺させようとしたのか」と思い、彼らの住処に戻り言う:「汝ら善人は寿命に随って生きるべきである。そうすれば福徳はさらに増え、後世に享受する福徳もより多くなる。自殺してはならない」と。もしそれらの人がそれによって死ななかったならば、優婆塞は中可悔の罪を犯す。
原文:老病の者は、四大の増減により諸の苦悩を受く。その人に赴き言う。「汝はなぜ久しくこの苦しみを忍ぶのか。なぜ自ら命を奪わないのか」と。それによって死なせた者は、不可悔の罪なり。もしそれによって死なせなかった者は、中可悔の罪なり。もし病人が「なぜこの人の言葉を受けて自ら命を奪おうか」と思い、もし病人に語った後、心に悔い「私は誤っていた。なぜこの病人に自殺を勧めたのか」と思い、再び赴き言う。「汝ら病人よ、あるいは良薬を得、善く看病する人に遇い、薬に随い飲食すれば、病は癒え得る。自ら命を奪うなかれ」と。もしそれによって死なせなかったならば、中可悔の罪なり。
釈:年老いて病弱な者は、四大の増減変化が調和せず、身体に様々な苦悩を受ける。優婆塞が病人の住処に至り言う:「汝らはなぜ長くこの病苦を忍ぶのか。なぜ自殺して死なないのか」と。もし病人がそれによって死んだならば、優婆塞は不可悔の罪を犯す。もし病人がそれによって死ななかったならば、優婆塞は中可悔の罪を犯す。もし病人が「なぜ彼の言葉を受けて自殺しようか」と思い、優婆塞が病人にその言葉を述べた後、悔悟して「私は誤っていた。なぜ病人にそのようなことを言い、自殺を勧めたのか」と思い、病人の住処に戻り言う:「汝ら病人よ、もし良薬を得るか、あるいは病をよく治す人に遇い、薬を服用し、飲食を調えれば、病は癒える。自殺してはならない」と。病人がそれによって死ななかったならば、優婆塞は中可悔の罪を犯す。
原文:残る上七種の殺について、犯すと犯さざるとを説く。上に説く火坑のごとく同じし。もし人を人と思い殺せば、この罪は不可悔なり。人を人ならずと思い殺す、人に対して疑いを生じて殺すは、皆不可悔の罪を犯す。人ならざる者を人と思い殺す、人ならざる者に対して疑いを生じて殺すは、中可悔の罪なり。
釈:上に詳細に説かれていない最後の七種の殺(核殺・弶殺・作阱殺・触殺・火中に推す・水中に推す・坑中に推す)について、罪を定め犯すか犯さざるかを説くならば、上に説く無煙の火坑殺の定罪と同じであり、自ら参照対比すべし。
もし殺す対象が人であり、かつ相手を人として殺すならば、この罪は不可悔である。もし人を故意に人ならざるものとして殺す、および相手が人かどうか確定せずに人を殺すのは、皆不可悔の罪を犯す。もし人ならざる者を故意に人として殺す、および相手が人ならざる者かどうか確定せずに人ならざる者を殺すのは、皆中可悔の罪を犯す。
0
+1