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日常法話

2025年05月30日    金曜日     第1開示 合計4395開示

起屍鬼による殺人罪

優婆塞五戒相経 第一節 原文:毗陀羅(ヴェーダ)とは。若し優婆塞(うばそく)が二十九日に。全身の死人を求め。鬼を召し屍(しかばね)に咒(じゅ)をかけて起たせ。水で洗い衣を着せ。手に刀を持たせる。若し心に念じ口に説く。我は某甲(ぼうこう)が為に。此の毗陀羅を作(な)すと。即ち咒術を読む。若し害さんと欲する人の死するは。犯すに不可悔(ふかく)なり。若し前人(ぜんにん)諸の三昧(さんまい)に入るか。或は天神の護る所か。或は大咒師の救解(くげ)する所なり。害を成さず。犯すに中(ちゅう)可悔(かく)なり。是を名づけて毗陀羅の殺しと為す。

釈:起屍鬼(きしき)を用いて人を殺す者にて、もし優婆塞が陰暦二十九日この日に、全身を保留した死人を尋ね求め、鬼を招く咒を誦(じゅ)して屍体に加持(かじ)し、屍体を立ち上がらせ、水で綺麗に洗い、衣服を着せ、その手に刀を持たせ、優婆塞がもし心に念じ口に説く:我は某甲のためにこそこの起屍鬼を作ったのだと。然る後に咒語を読誦して人を害し、もし害そうとした人が死んだならば、優婆塞は犯すに不可悔の殺罪となる。もしその人が三昧に入って悪咒を避けたならば、或いは天神が照護している、或いは大咒師が来て解救したため、殺害が成就せず、優婆塞は犯すに中等可悔の罪となる。これが起屍鬼を用いて人を殺す方式である。

何故起屍鬼は人を殺せるのか。屍体自体は人を殺せない、身上に識心(しきしん)が無い為、屍体を駆使して作為を為すことが出来ないからである。しかし鬼が屍体に憑依(ひょうい)すれば、識心と身体が和合し、鬼の識心が屍体を駆使して作為を為すことが出来、刀を持って人を殺すことが可能となる。人は鬼に多少の利益、例えば飲食等を与えさえすれば、鬼は人に駆使され召喚に応じ、人の為に服務する。或る鬼はまた咒力に駆使される、即ち咒を念ずる人に駆使されるのである。尚もう一種、咒語を用いて人を殺す方法があり、屍体や鬼を用いず、直接咒語で人を咒い殺す。これは何の原理か。咒語は人の心を代表し、人の心力がもし強大であれば、心念が人をどうせしめようとすれば、人はそのようになる。心力が強くなければ、咒語の力も弱い。

優婆塞五戒相経 第一節 原文:半毗陀羅(はんヴェーダ)とは。若し優婆塞二十九日に鉄車(てっしゃ)を作る。鉄車を作り已(おわ)って。鉄人を作る。鬼を召し鉄人に咒をかけて起たせ。水で洗い衣を着せ。鉄人に手に刀を持たせる。若し心に念じ口に説く。我は某甲が為に是の咒を読むと。若し是の人の死するは。犯すに不可悔罪なり。若し前人諸の三昧に入るか。諸の天神の護る所か。若し咒師の救解する所なり。死を成さざれば。是れ中罪可悔なり。是を名づけて半毗陀羅の殺しと為す。

釈:半起屍鬼を用いて人を殺す者にて、もし優婆塞が陰暦二十九日この日に鉄車を一つ作り、作り終わって後、更に鉄人を一つ作り、鬼を招く咒を誦し、鉄人を立ち上がらせ、水で鉄人を綺麗に洗い、衣服を着せ、鉄人に手で刀を持たせる。もし優婆塞が心に念じ口に説く:我は某甲のためにこの咒語を読誦すると。読誦した後、もしその人が咒語で咒い殺されたならば、優婆塞は犯すに不可悔の殺人罪となる。もしその人が三昧に入って咒語を避けたならば、或いは諸天神に照護された、或いは咒師に解救されたため、死なずに済んだならば、優婆塞は犯すに中等可悔の殺罪となる。これを半起屍鬼を用いて人を殺すと称する。

何故三昧に入れば悪咒の加身を避けられるのか。人が三昧の中に在る時、自身の磁場が非常に強大となり、一切の外来の干渉や侵害を断ち切ることが出来る為、悪咒毒咒は侵入出来ないのである。


——生如法師の開示
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