薬師経原文:像法の転ずる時に、諸の衆生有り。種々の患いに因って困ぜられ、長く病みて羸痩(るいそう)し、飲食すること能わず、喉唇乾燥し、諸方暗きを見る。死相現前に臨む。父母・親属、朋友・知識、涕泣して囲繞す。然るに彼の自身は本処に臥す。閻魔の使を見、其の識神を引きて閻魔法王の前に至らしむ。然るに諸の有情には倶生神有り、其の作する所に随って、若しは罪、若しは福、皆具に之を書き、尽く持ちて閻魔法王に授与す。爾の時に彼の王は、其の人を推問し、作したる所を計算し、其の罪福に随って処断す。
釈:像法の時代において、衆生の福徳薄く、過去世及び現世に造作した悪業の種子が熟し、悪業の果報に困ぜられ、長く病臥し、身体は羸痩、飲食も喉に通らず、口唇乾燥し、見る所皆暗く、死相が現前する。父母眷属は涙を流して周囲を取り囲む。然るに病人の身体は病床に臥したまま、其の識神は黒白の無常鬼に引き立てられて閻魔王の御前に至る。病人の倶生神は自らが一生に造作した罪福の業を悉く顕現し、閻魔王に奉呈する。此時閻魔王は病人を審問し、其の造作した業行の罪福の多寡を判じ、業報を定め、行く先を決定する。
有情衆生は皆倶生神を有す。これは永劫不滅の主宰識たる第七識(末那識)の意根を指す。無常の鬼が人を引くのも、作主識たる意根を閻魔王の元へ導くことを意味する。閻魔王の御前において、一切衆生の意根は自ずと一生の福罪業行を顕現する。閻魔王は神通力をもって、其の人の造作せる種々の業行を、銀幕の影像を観るが如く迅速に遍覧し、審判を下す。
此れは意根が罪福業・善悪業を造作することを示し、審判は意根を審うるものなり。生前の意識は既に滅して、閻魔の元に随行せず、意根と共に在るは中陰身に臨時に生じた意識のみ。此れは意根に善悪性の有ることを証す。然らば如何にして善悪業が現出せんや。此時意識は既に滅し、作用せず。仮に作用するも意根の手足となり補佐するのみ。閻魔王は意識を問わず、唯だ意根を以て罪福業及び業報を判別す。
人の死あるいは半死・仮死の時、意識は殆ど作用せず。意根は如何なる状況にあれ、永遠に衆生の主人公たる作主識なり。死後あるいは仮死後、意根は業力に引かれて閻魔王の御前に至る。閻魔王が意根の罪福業を審覧し、未だ使い切らざる福徳の残存を認め、未だ死すべき時至らざると判ぜば、此の者の意根を陽間の色身に送還す。斯くして其の人は蘇生し、意根が色身に帰還して意識を呼び出し活動せしむ。
閻魔大王が死者を審判するに当たり、其の主君たる者を尋ね求む。助手や従者を問わず。債に主有り、業には更に主有り。愚者こそ部下や雑役・使用人を尋ねん。故に意根は一切の善悪無記業を造作し、善悪性を具え、善悪心所法を有す。
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