弟子の問い:ある朝、行禅を行い四念処を観じていた時、突然「丹田を緩める」という一念が起こりました。丹田を緩めた際、一股の温かい流れが丹田に満ち、ぽかぽかと熱く感じ、今日まで丹田の温かさが持続しております。この暖流が現れるにつれ、特に異性を見ても妄念が起こらなくなり、対治法を用いる必要もなく、まるで同性や普通の物を見るようになり、丹田の揺れも治まりました(普段は異性を見ると制御できない非理作意が生じ、生理的な丹田の揺れが生じ、第二念で対処する必要がありました)。師父様、この状況についてご指導ください。
回答:坐禅と行禅によって丹田の気血が通じ、暖相が現前し、丹田が温かく全身の気血が円滑になり、身心ともに柔軟となったため、丹田に気・神・精が満ち、外部からのエネルギー補充を必要としなくなったのです。よって生理的欲求が減退し、飲食や睡眠が少なくなり、淫欲も不要となりました。精気神が不足している時こそ外部からの補充を必要とし、生理的欲求が多くなるのです。
これらの生理的欲求は全て欲界人間の生活に必要なものですが、修行によって人間界を超越する境地に至れば、飲食・睡眠・欲望などの五蓋が次第に除去され、欲界天と色界天の境地に上昇します。つまり欲界の未到地定が具足し、色界の初禅定も程なく達成されるのです。人の欲望が調伏されると禅定は初禅に昇華し、初禅定において貪欲が断除されます。
色界初禅天以上の天人には男女の欲が存在しないため性別がなく、飲食を必要としないため鼻識による香り嗅ぎ、舌識による味わいもなく、眼識・耳識・身識・意識・意根のみを有します。故に識心は衆生の需要に応じて設置されたもので、需要がなくなれば識心も存在不要となります。滅尽定においては意根のみが存在し、六識はなく、更に意根は受と想の二つの心所法を滅しています。
丹田が揺れ動かないのは精気が満ちた証であり、自然と淫欲を必要とせず、淫欲に興味を失ったのです。精気が満たされない状態は半瓶の水が常に揺れ動く如く、外部から水を注ぐ必要がありますが、水が十分に満ちれば揺れは止みます。世尊は楞厳経で断欲の境地について、断欲の者が男女の淫行を行う様を蝋を咀嚼するが如く無味乾燥で、耐え忍ぶべき屈辱感に等しく、単に任務を遂行するのみだと説かれました。
あなたは現在五蓋の障りを断つ段階にあり、未到地定が具足し、初禅定が発起せんとしています。この定中においては我見を断ち明心を証悟する禅定条件が具足し、福徳智慧などの条件が整いつつあります。我見を断ち明心した後、初禅定の定力を基盤とすれば貪瞋痴の根本煩悩を断除し、小乗の三果人となることが可能です。前途は光明に満ちております。引き続き精進なさい。
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