衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2025年03月16日    日曜日     第2 回の開示 合計4344回の開示

意根に念心所法と煩悩心所法が存在する証拠

ある人が頭の中でずっと一つの問題を考え続け、突然自分の中にその念が存在することに気付いた時、驚きを覚え、むしろ後ろめたい感情さえ抱き、慌てて首を振ってその考えを振り払い「どうして私にこんな考えが?」と自問する。

この事例から、人間には二つの心の働きが存在することが分かる。一つは自発的に生起し、密かに作用する意根の心念。もう一つは最初の心念に気付かず、突然それを感知して驚く意識の心念である。これは二つの心念が一致せず、意識と意根の思想観念が完全に同一でなく、二つの心が常に相通じ調和した状態にないことを示している。同時に意根の心念が絶え間なく生起し、意識の制御を受けずとも活動し得るが、意識の制御も受け得ることを物語る。意識がそれを発見して不適切と判断し、意根にフィードバックすれば、意根は一時的にその心念を断つ。その後再び生起するかは、意識の制御力と説得による薫習の効果にかかっている。

一般人の意識は定慧が不足しており、容易に意根の心念を感知できず、自らの考えを自覚できないまま、知らず知らずその考えに駆られ、うっかり行動と言葉を発し、覚醒後に後悔する。もし意根に殺人の念が生じ、意識がそれを感知して戦慄し、恐怖と疑念を抱くなら、これは意根に瞋心が存在するが意識が知らなかったことを示す。一旦感知すれば「私にこんな考えが?」と自問し、その後二者が交流薫習する。意根の心念が優勢となり意識が服従を決めれば、共謀して殺人計画を策定実行する。

窃盗計画の策定と実行も同様で、意根が主導し意識が従属補助する。貪瞋痴の煩悩に基づく悪業も全てこのように発生する。もし意識に貪瞋痴の煩悩が生じても意根が清浄なら、意識の心念は長続きせず消滅し、やがて忘れ去られる。これは意識が外界から受けた邪念の薫習であり、意根が本心を堅持すれば、意識の心念は浮雲の如く散り去る。もし意識が持続的に汚染環境に接触し、邪念が継続的に発生して一定量に達すれば、意根も薫習により堕落し、遂には意識と共に貪瞋痴の煩悩による汚染業を造作する。故に人が置かれる環境はその成長に多大な影響を与え、思想観念を形作る。善を選んで居住することこそが善に従い悪を避ける道である。

——生如法師の開示
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意根の活動は脳の中にあるのか、それとも脳の外の虚空にあるのかでしょうか。

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