衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2025年02月26日    水曜日     第1 回の開示 合計4334回の開示

意根が証果を修めてこそ退失しません

意識の解は、いかなる煩悩の結びつきも断じ除くことができません。なぜなら結びつきは意根の結びつきであり、意根の無明であるからです。意識は意根に代わって無明を破ることはできず、三結を断じ除くことができません。意識の解は根本的に意根の疑いを断つことができず、将来必ず退転するのです。一方、意根が結びつきを断ち、我見を断ったならば、永遠に退転して認めないことはありません。たとえ極めて大きな逆境に遭い、相手を騙して自分は我見を断った者ではない、菩薩ではないと嘘をつく可能性はあっても、内面の意根は信心と智慧の見地を失うことはなく、いかなる状況でも意根は揺るぎなく堅固であり、永遠に菩提の道を退失することはありません。

退転するか否かは意識の問題であり、意根には退転の方法がありません。定着した智慧の認識は、外力によって変化することはないのです。衆生はその我によって生死流転を繰り返し、無量劫にわたって地獄で苦しみを受けても我見を断つことができませんでした。ひとたび意根で証果を得て心を明らかにした者が、どうして容易に退転するでしょうか。思想がそう簡単に変わるものでしょうか。意根が法を証得して思想が転換すれば、再び元に戻ることはなく、そうでなければ仏陀も凡夫に戻ってしまうでしょう。意根の証法が退転し得るならば、それは極めて奇妙なことです。もし思想がそう容易に転換するならば、我見を断つことや開悟は極めて容易なこととなり、成仏もまた極めて容易なこととなるでしょう。それではどうして三大無量数劫にわたる辛苦の修道を経て最終的に成仏するのでしょうか。

——生如法師の開示
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