勝解とは、識心が接触する法に対して、ありのままに理解し把握することであり、最も合理的で核心を突いた理解であり、誤った解釈や邪な解釈もなければ、誤解もない。もし誤った解釈で勝解できなければ、正しく誤りのない決断を下すことができず、その行為や造作は必ず間違いを犯し、深刻な結果を招く。もし私が法を説く際に、あなた方がいつまでも勝解できなければ、私の説法は無駄になり、あなた方の学びも無駄に終わり、何の結果も生まれず、むしろ誤解が生じるかもしれない。もし他人があなたと話しているのに、あなたが勝解できなければ、相手の意図を歪めて受け取り、合理的で正常な対応ができず、二人は正常に交流できず、交流しても意味がない。このようにして人々は互いに意思疎通や付き合いができず、同じ空間で生活することができなくなる。
七つの識のうち、どの識であれ勝解がなければ、その識は対応する法を正しく解読できず、正しく適切な決断を下せない。その結果は、盲人が道を歩けないのと同じで、識心は正常に機能できない。五識にも勝解はあるが、五識は仏法を理解できるだろうか?畜生の識心にも勝解はあるが、畜生はみな仏を学ぶのだろうか?もし畜生の勝解力がすべて人間より劣っているなら、彼らはどうやって正確かつ迅速に獲物を捕らえるのか?どうやって生き延びることができるのか?実際、あなたの家の愛犬に一目で、一つの表情で示せば、愛犬は一瞬で理解し、何も言わずに命令を実行する。人間はなおさらである。一切衆生の身・口・意の行いはすべて意根が決断するものであり、すでに正しい決断が下せて五陰身を正常に運転させられるのならば、意根には必ず勝解という心所法があるに違いない。六識に勝解があるだけでなく、意根は五識よりも勝解力に優れ、五識よりもはるかに機敏なのである。
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