前五識にも五遍行心所法、すなわち作意・触・受・想・思が備わっていますが、第六・第七識の五遍行心所法に比べると簡略で粗いものです。第六・第七識が思惟する対象は法境であり、その思惟は極めて繊細かつ深遠です。一方、前五識が思惟するのは五境であり、その思惟は粗く単純です。五境と法境を明確に区別できれば、五識の思と第六・第七識の思の差異を弁別することが可能です。五識の思は意識の思惟作用とは異なり、その差異は極めて大きいものです。五境と法境を分けて認識することは容易ではなく、従って五識の識別と意識の区別を明らかにすることも非常に困難です。意根と意識の機能作用を区別することは、一般の人々には到底成し得ぬことです。
世間一般で思惟と言う場合、通常は第六・第七識による法境への思惟、特に独頭意識が独影境に対して行う思惟を指しますが、その際五識も必ず参与せざるを得ません。五識の五遍行心所法における思は、主に判断と選択の作用を担います。五識が対応する五境を了別した後、五境の相を摂取し、簡略な判断を下してから、継続的な了別を行うか回避するかを選択します。この過程に意識も同時に参与して了別を行います。五識の了別が粗いと言われる所以は、五境が粗雑であり詳細な分別を要しないため、了別が迅速で五識が多くの心を費やす必要がなく、あたかも思考を経由しないかの如き働きをするからです。これに対し五境に伴う法境は比較的微細であり、意識による繊細な了別を必要とするため、意識の了別と思考分析は比較的遅く、より多くの心労を要します。
五境が重大で影響力が大きい場合、意根は五識の判断選択を主として採用し、意識の分析判断を処理する余裕がなくなるため、意識の了別と思惟を顧みることができなくなります。通常、五識の了別は直観的で迅速であり、意識の了別は微細で五識よりやや遅れます。重大な事態において意根は五識の反応を優先し、意識の反応に配慮する余裕がなくなるため、突発的な事象に対しては意識の分析的思惟が働く暇もなく、意根が直接に行動を指揮し終えてしまい、意識が後から気付く結果となります。要約すれば、思惟とは第六・第七識の思惟を指し、前五識の思は思惟に比べて単純・粗放・直接的であり、深遠さに欠け、また深遠である必要もありません。それは五境の法が浅く粗く直観的であるからです。
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