衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2024年09月20日    金曜日     第1開示 合計4256開示

意根を用いた思量の益

問:私はどうやら意根で思量する方法が分かったような気がします。それは思考では捉えられない心の働きで、考えようとすると意識が介入してしまい、意識が介入するとその状態は以前ほど深く繊細ではなくなります。こういうことでしょうか?この状態は非常に短く、問題の行き詰まりを思量するとすぐに意識で考えてしまい、直ちに状態が深みを失います。また座禅中に身体の状態を観察していると、この色身が存在しない感覚が生じ、わずかな覚受と意識によって構成されたような身体になり、非常に実体感がありません。突然、普段見ている事物は単なる画像や映像に過ぎず、変現されたものだという感覚が生じましたが、禅定から出て周囲を見ると依然として現実そのものでした。

答:あなたは現在、座禅中の思考が意識によるものか意根による思量かを大凡区別できるようで、方法も正しく用いていますが、修行がまだ熟達しておらず自在ではありません。焦らずに徐々に基礎を固めていく必要があります。静寂の中で仏法を思索する際、確かに意根を用いる時は心の働きが非常に深く繊細ですが、意識を用いると浅薄になり、隔たりがあるように感じられ、深く透徹しません。

座禅中に色身の観察に集中すると、定力が高まります。定力が深まると逆に覚観が微細になり、色身の知覚が消失して心が空になります。定力は心の働きを緻密かつ精確にし、普段は観察できない事象を捉え、物事の真実を発見して真理を看破・悟ることを可能にします。禅定中に事物が映像のように実体感を欠いて見えるのは正しい知見であり、この正知見を基に修行を熟達させれば、悟りを証得する可能性が開けます。

悟りを証得した後は、禅定から出ても虚妄の法を真実と見做すことはありません。証得以前の知見は単なる知見に過ぎず、何も変えることはできません。しかし正知見は虚偽の認知から幾分離脱しており、事物の真実発見に向かっています。この修行状態を維持し深化させれば、あらゆる事理が極めて幻想的で実体のないものだと看破できるようになり、因縁と時節が具足する時、空を証得する可能性が生じます。故に一切法の証得は甚深な禅定の中でなされるものであり、活動中でさえも定力が働いています。この定力は全て座禅の修行に由来し、静寂中の禅定が延伸・継続したものです。

——生如法師の開示
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