衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2024年07月25日    木曜日     第1 回の開示 合計4224回の開示

法相への執着はすべて意根によるものである

七つの識は触れる対象と愛着する法に執着性を有しますが、最終的には全て意根によって執取され、業種として収められ後世へ伝わります。六識の執着も最初は意根によって発起され決定されます。意根が六塵に対峙する際、その中の法を探求する意欲が生じれば六識による了別が発生し、六識の了別後に受と愛が生じ、その後執着の心行が生じる可能性があります。意根が六識の了別した六塵相を了別した後、受と愛が生起し、その後執着の心行を生じさせるため、六識は貪愛を止めることができません。

法相を取る識心は主に意識と意根の二識から成り、五識も存在しますがその作用は微弱で無視できます。意識が法塵に対峙する時は意識が法相を取り、その後意根は意識の了別と愛取に基づき愛取の心行を生じさせ、意根が取った後に結果が現れます。意識が法相を了別する前でも意根には触と取が存在しますが、意根は法相を究竟的に了知しないため、法相を取る目的は六識による了別と意識の参謀を経て最終的に決断するためです。五塵相に対して五識も執着を有しますが、五識に決定権はなく、その執着心は極めて微細で、智慧が不足している場合は五識の心行を観察することも、五識と意識の区別を見分けることも極めて困難です。五識の心所法は通常意識と意根と緊密に結びついており、観察できないため見過ごされてしまいます。

——生如法師の開示
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