衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2024年07月23日    火曜日     第1 回の開示 合計4223回の開示

いかにして意根の機能と作用を如実に理解するか

何故一部の人々は第七識である意根が何もできないと考えるのでしょうか。多くの人々が表面的な意識の機能作用しか見えず、意根の機能作用を見ることができないため、五陰の全ての機能作用を意識のものとみなし、意根が主導権を持つ識としての機能作用を無視し抹殺してしまうからです。意根が一切法の先導者であり、一切法が現れ、意識が接触・了別・処理できるのは全て意根の選択による結果であることを理解していません。意根は五陰身の家長なのです。

もし何もできない無能な者が家長となったら、その家がどうなるかは想像に難くありません。しかし世の中には多くの福徳と智慧を備えた人々が存在し、五陰身が数多くの善業と智慧の業を成し遂げるのは、全て意根が主導した結果です。畜生でさえその意根の機能作用は極めて優れており、六識とは比較になりません。大小様々な組織において、部下が指導者の指示に従う理由を考えてみてください。権力以外に何かあるのではないでしょうか。もし指導者が無能で何の価値もないのに、部下が唯々諾々と従うなら、その部下はより弱く無能だと言えるでしょう。

国家元首が部下のように具体的な業務や技術に精通している必要はなく、部下の仕事を代行することもできません。元首は高所に立って全体を統括する立場にあり、具体的な業務に携わることはないのです。元首が直接民衆に対応せず、具体的な仕事をせず、技術に精通していないからといって、仕事をしていないとは言えません。指導者として全体を掌握し、調整・配置を行い、部下と役割分担して責任を負い、調和して運営することで初めて国家を統治できるのです。

五陰身も同様で、意根は高所に立って全体を統率します。意識のように微細に塵境を了別し、思考・推理・整理・帰納・統計・分析・推敲を緻密に行うことはできません。意根の精力はそれを許さず、ある程度の禅定に達し、多くの重要でない事柄を排除し、集中力を高めてエネルギーを増大させた時のみ、六識の仕事を代行し六識を排除できるのです。凡夫の意根は六識を使って具体的な事柄に対処し、具体的な塵境に対応するほかなく、そうでなければ六識の存在意義もなくなります。

意根は絶え間なく思索を巡らせる識心であり、勤勉に絶えることなく働き続けます。それなのに何故人々は意根を無価値で無力だと言うのでしょうか。意識を重要視し意根を軽視する人々は、誰が指導者か、誰が決定権を持つか、誰の仕事がより重要かを理解していないのです。指導者が深く隠れているためその存在を認めず、従業員こそ指導者だと考えます。指導者が技術を知らなくても、技術者が提案した技術案件を審査・承認し、実験過程や結果を理解しなくても最終判断を下します。意根は指導者として決定を下し、意識は技術者として指導者に技術サービスを提供する存在です。故に意識のサービスがあれば、意根が全てを自ら行う必要はないのです。

——生如法師の開示
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