衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2024年07月05日    金曜日     第1開示 合計4213開示

意識の煩悩の根源

意根は意識が生じる際の俱有依であり、また意識の心の染汚と清浄の依り所でもある。意識は、意根が法塵と接触した後に、意根が決断し造作して初めて生じる。意識の煩悩はどこから来るのか。一つの源は意根による調節と薫染から来ており、もう一つの源は周囲の染汚環境による薫染によって形成される。

意根はどのように意識を調節し薫染するのか。意根が六塵の境界に接触する時、おおむね塵境が好ましくないと判断すると、意根は心の中でまず煩悩を起こし、塵境に対処しようとする。そこで意識が生じ、意識は意根の指令に基づいて当該の法塵を了別し、身口の行動を取る際に煩悩を伴う。身口が染汚されるのは、これが意識が意根の調節を受けた結果である。薫染とは、意根の煩悩が現れるたびに意識を薫染し、意識が次第に薫染を受けて、意根と同じ煩悩を持つようになることを指す。例えば、生まれたばかりの乳児の意識には煩悩がないが、時間が経つと意根の先天的な煩悩が意識の心行を左右し、意識は次第に意根の煩悩と一致するようになる。これが意根による薫染である。意識に覚りがある時のみ、いくらか煩悩を軽減でき、逆に意根の煩悩を制御することができる。

意識の煩悩の第二の源は、塵境による薫染である。常に同類の人の様々な煩悩の中に身を置き、日増しに積み重ねていく薫習によって、心の中に煩悩が現れる。意識の煩悩は再び逆に意根を薫染し、意根にも同じ煩悩を持たせる。煩悩を断った後の意根は薫染を受けにくく、仮に偶発的に煩悩が起きても、それは意識の一時的な煩悩であり、後になれば消え去り、長く持続することはない。

——生如法師の開示
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菩薩は衆生を済度するに当たり三輪体空であるべきである

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