金剛経原文:如来の説く第一波羅蜜は、即ち第一波羅蜜に非ず、是れを第一波羅蜜と名づく。須菩提よ、忍辱波羅蜜は、如来の説くところの忍辱波羅蜜に非ず、是れを忍辱波羅蜜と名づく。
解釈:如来が説く第一波羅蜜とは、真に第一波羅蜜という実体があるわけではなく、第一波羅蜜は真実の相ではなく、ただの名称として第一波羅蜜と呼んでいるのである。須菩提よ、忍辱波羅蜜についても、如来は真の忍辱波羅蜜が存在するとは説かず、忍辱波羅蜜もまた幻化した仮の相に過ぎず、ただ忍辱波羅蜜という名称で呼んでいるのである。
菩薩の六波羅蜜とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧である。若し大菩提心を発し、仏道を成就せんがために六波羅蜜を行ずれば、涅槃の彼岸に到達することができ、その行う六波羅蜜を六波羅蜜と称する。波羅蜜とは涅槃の彼岸に到ることを意味する。もし菩提心なくして六波羅蜜を行えば、六度は単なる善法であり波羅蜜とはならず、涅槃の彼岸に至ることはできない。
六波羅蜜の最初は布施波羅蜜である。菩薩の全ての布施行は金剛心によって成就され、金剛心が幻化し執持するものであり、生滅・変異・無常である。故に布施波羅蜜は空相・仮相であり真実の相ではない。即ち第一波羅蜜に非ず、仮に第一波羅蜜と名付けるのである。忍辱波羅蜜もまた金剛心によって幻化・成就されたもので、実体ある属性はなく、真実の忍辱相も真実の波羅蜜相も存在しない。従ってこれも空相・仮相であり、実在する相ではない。故に忍辱波羅蜜に非ず、仮に忍辱波羅蜜と名付けるのである。持戒波羅蜜・精進波羅蜜・禅定波羅蜜・智慧波羅蜜も全て同様であり、いずれも波羅蜜に非ず、真実の相なく、全て幻化した空相・仮相であって、仮に波羅蜜と名付けているのである。
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