原文:仏は般若波羅蜜を説く。即ち般若波羅蜜に非ず。是を名づけて般若波羅蜜と為す。
釈:仏が衆生を導くために説かれた大乗法の般若波羅蜜は、即ち実有の般若波羅蜜ではなく、真に般若波羅蜜という実体が存在するわけではない。仮に般若波羅蜜と名づけられたものであり、その法相もまた空である。
般若波羅蜜はインド語であり、中国語に翻訳すれば「大智慧が彼岸に至る」という意味である。金剛心体あるいは般若心体が生死の此岸を離れた涅槃の状態に喩えられる。此岸と彼岸はともに一つの状態に過ぎず、仮の名であって実体ではなく、実相でもない。実質的な此岸や彼岸の相は存在しない。故に般若波羅蜜は空相であり、仮に般若波羅蜜と名づけられるのである。同様に、六波羅蜜もまた空相であり、実体がなく実相ではない。波羅蜜は仮の名であり、六度にも実質的な体や相は存在せず、金剛心が幻化した生滅変異の空相である。岸に至れば即ち船を捨てるように、成仏して修行が円満すれば、もはや波羅蜜の法を修める必要はない。
凡そ金剛心体によって初めて成立し存在する法は、すべて幻化した空相と仮相であり、実質や自在の体性を持たない。金剛心体より般若波羅蜜経が演化し、衆生は般若波羅蜜に依って修行して初めて仏道を成就する。成仏した後は、般若波羅蜜経を捨て去り、再び修学する必要も、依拠する必要もない。般若波羅蜜経の出現は、諸仏が衆生の成熟した修学の因縁に依って宣説したものである。もし因縁が具わなければ、諸仏も般若波羅蜜経を説かず、この経も衆生の前に現れる縁由がない。よって般若波羅蜜経は金剛心体性の詮釈と注解であり、金剛心体そのものではない。故に真実相ではなく仮相である。また経中に詮釈される義理は、般若波羅蜜と名づけられるが、金剛心体そのものを代表するものではない。故に真実相でもなく空相であり、この空相を指して般若波羅蜜と名づけるのである。
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