須菩提よ、どう思うか。三千大千世界のすべての微塵は、多いと言えるか。須菩提は答えて言った。甚だ多いです、世尊よ。須菩提よ、すべての微塵について如来は説く、それは微塵ではなく、微塵と名づけるのである。如来の説く世界は、世界そのものではなく、世界と名づけるのである。
釈:仏は問われた。「須菩提よ、このことについてどう考えるか。三千大千世界のすべての微塵は甚だ多いのではないか」須菩提は答えた。「誠に多いです、世尊よ」仏は説かれた。「須菩提よ、一切の微塵は如来の説によれば真実の微塵相ではなく、仮の相である。この仮相を微塵と名づける。微塵が集まって成る三千大千世界も、如来の説によれば真実の世界相ではなく、幻化されたものである。この幻化の仮相を世界と名づける」
数多の微塵が集まって成る大千世界は、衆生の五蘊が存在する外的空間であり、世俗界の色法に属する。ここに至り、如来はこの色法の法相を破った。では世俗界の五蘊の世間に真実相があるか。真実相はなく、すべては虚妄の仮相である。仮に世界と名づけ、世間と名づけ、世俗界と名づけ、五蘊と名づける。五蘊が仮名であるならば、五蘊によって行われる一切の事業――菩提心を発し、自利利他で菩薩道を行い、法を説いて衆生を度し、法を証得し、菩薩果や仏果を成就し、仏国土を建立すること――これらはすべて虚妄であり空である。真実相がないならば、我々がこの幻のような世間で執着すべきもの、執取して捨て難いものなどあるだろうか。
なぜこのような仮相と仮名が存在するのか。それは金剛不壊の心が因縁によってこれらの法を成就したからである。成ずれば必ず壊れるが、本来からあるものは滅びない。衆生は無始劫より真相を知らず、仮相を真相と見做して執取するため、生死輪廻の苦がある。今や金剛法を修学したなら、速やかに実相を証得し、真性に回帰し、涅槃の彼岸に至り、生死の流転を離れるべきである。
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