衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2024年05月18日    土曜日     第0 回の開示 合計4175回の開示

意根は識の俱有依であります

倶有依とは、二つの法あるいは複数の法が共に存在することを意味します。「倶有」とは生まれながらにして共にあることであり、出生時より共に存在しています。「依」とは依存を指し、これがあれば彼があり、この法は彼の法に依存して初めて出生し存在し得るのです。

ある者は五根が意識の倶有依であると説きます。つまり五根が意識発生の必要条件であり、五根がなければ意識は存在せず、意識が存在するためには必ず五根が必要だというのです。しかし実際はどうでしょうか。衆生の形態から見れば、多くの衆生は五根を持たないにも拘わらず、依然として意識を有しています。例えば無色界の天人、無身の菩薩や大阿羅漢方々などが挙げられます。彼らは皆意識を有していますが五根は持っていません。全ての衆生の独頭意識は五根に依存せずに出生・存在し、深甚な禅定において意識が身体を離れてもなお塵境を了別でき、五根を必要としません。故に五根は意識の倶有依ではなく、意識の倶有依は第八識・意根・種子なのです。

意識の発生に必要な縁は極めて少ないため、容易に生じまた滅します。五識は二禅以上の定において全て滅尽しますが、意識は無想定と滅尽定においてのみ滅します。従って意識の倶有依は五根でも五識でもなく、意根であると説かれます。意根は意識が発生し得る根であり、意識は意根に依って初めて発生・運行します。意根が作意し択択した後に意識は発生可能となり、そうでなければ発生し得ません。故に意識は常に意根と相伴い、意根に奉仕し、且つ意根を調制・薫染します。しかし意根は必ずしも意識に相伴うわけではなく、必ず意識と倶にあるわけでもありません。意根が単独で存在する場合も多く、睡眠状態がその一例です。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

意根と五蘊の関係

次の記事 次の記事

意根と意識の四つの関係

ページのトップへ戻る