衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2024年05月20日    月曜日     第1開示 合計4176開示

意根と意識の四つの関係

人間の心理的問題は、一般的に末那識(意根)の問題である。末那識が長期間理解されず抑圧され続けると、心理的問題が生じ、様々な心理的症状が現れる。末那識の心理的問題を導く方法は二つある。一つは心理学を理解する他者に頼ること、もう一つは自身の意識に頼ることである。意識が末那識の心理状態を明確に理解し、問題解決の方法と能力、智慧を備えていれば、末那識の心理的・情緒的状態を段階的に導き、末那識の心を開かせ抑うつを解消し、抑圧された感情を解放することができる。

一般的に、末那識と意識の関係にはおおむね四種類あり、意識と末那識が和合一致する場合が二種類、意識と末那識が和合一致しない場合も二種類に分けられる。

第一の場合、末那識が善であり意識も善である。両者が和合一致して善となり、意識が末那識に逆らわず、むしろ末那識の善を増益する。結果として、躊躇いのない善、心から痛快な善、内面から外面に至る善が現れ、心理的問題は存在しない。善行を行った後は心理がさらに爽快となり、これは大善である。大いなる善の果報を得られ、善業の種子が速やかに成熟し、善報も速やかに受けることができる。

第二の場合、末那識が悪であり意識も悪である。両者が和合一致して悪となり、意識は微塵も末那識に背かず、むしろ末那識の悪を増益する。両者は和合して心から痛快に悪を行い、ためらいがない。悪業を造った後はさらに爽快さを覚え、心理的に快適であり、羞恥や慚愧を感じず、心理的問題はない。しかしこれは大悪であり、悪業の種子が速やかに成熟し、悪報も速やかに受ける。

第三の場合、末那識は悪であるが意識は善である。意識が一心に善に向かう時、末那識は不快に感じ、善を望まない。しかし環境の圧力に迫られて善を行わざるを得ず、末那識の心理に問題が生じる。後悔するかもしれない。この心理的問題は解決できる場合もあれば解決できない場合もある。これは真の悪・偽りの善に属し、本質は悪である。もし末那識の悪の力が環境の力を上回り、意識の善が比較的弱く末那識に影響を与えず、薫染が成功しなければ、悪業を造ることになる。これが真の悪である。しかし必ずしも常にそうとは限らず、意識が良好な環境に薫染されればますます善となり、末那識に感染してその悪に打ち勝てば、後に善業を造り悪を行わなくなる可能性がある。

第四の場合、末那識は善であるが、意識は環境の影響を受けて悪心を抱く。末那識が環境に逼迫されて悪を行わざるを得ない時、心理的に影や抑圧、悔恨を抱える。この心理的問題は懺悔によって補える場合もあるが、補えない場合もあり、末那識の心理的な結び目が残される。これは真の善・偽りの悪に属し、本質は悪くない。もし末那識の善の力が比較的大きく、意識の悪の力が小さく善に打ち勝てず、善を薫染できなければ、最終的には末那識の善が主導して善業を造る。しかし常にそうであるとは限らず、悪の環境が持続し意識の悪の力が増強すれば、末那識も意識の悪に従って悪業を造る決断を下す可能性があり、末那識は悪に染め上げられたことになる。

——生如法師の開示
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意根は識の俱有依であります

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