衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2024年05月20日    月曜日     第2 回の開示 合計4177回の開示

真の智慧を得てこそ、直ちに成仏の道に至る

仏法をゆっくりと味わう場合、あるいは深く参究すると言いますが、一つの言葉を深く参究すれば入定することができ、これを慧をもって定を引くと言います。定の中では、参究する智慧が絶えず深まり、法の義理が次第に透徹していきます。これをまた定をもって慧を引くと言います。定と慧が互いに引き合い増大する、これが真の修行であり、最も深遠な修行、最も根本的な修行、そして最も究竟なる修行です。得られるのは真の智慧、自ら修めて得た智慧です。ただこのような参究は表面的には遅く見え、得られる知識量が少ないように思われますが、実は修行において最も速く、最も直接的な直道です。修行は智慧を得ることが究竟であるため、智慧が仏となります。

逆に、修行を理解しない者は浅薄で、表面的な知識量を追求し、多くを知り、多くを理解し、多くを学ぶことに満足し、真の智慧の重要性を悟りません。そのため真の智慧を求めようとしません。量と速度を追求するため、学び得たものは自らが開いた真の智慧ではなく、実は修行の門外漢です。精進に励んでいるように見えますが、真の智慧がないため実際には最も遅い速度です。多くを知り多くを解することが智慧だと考えるのは、実は仏法を学び始めた者の無知です。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

意根と意識の四つの関係

次の記事 次の記事

なぜ染汚された意根は染汚された前六識のみを生じるのでしょうか?

ページのトップへ戻る