問:ある時、階段に座って念仏を唱えていたところ、見ているようで見ていないような状態で、突然黒い物体が眼前を掠めました。内心驚き、正体を知りたくてよく見ると、黒い鳥でした。この時、眼識がまず感知し、意根が危険を感じて無意識に驚き、その後意識が生じて詳細に分別し「鳥である」と認識しました。これはあたかも鳥が常に存在する識心を飛び越え、鏡が絶えず照らす中を通過するかのようです。人間には通常、見る見ないに関わらず常に存在する機能があります。この「見る性質」が仏性なのでしょうか。
答:突然眼前を黒い物体が掠めるのは眼識が捉える朦朧たる色境です。内心の驚きは意根が対象を認識できず動揺し、正体を究明しようとする働きです。この前に意識が現れ、眼識単独では分別できず、意根の習慣的な執着が眼識と意識に瞬間的に「物体通過」を感知させます。仮に意根に習慣的執着がなければ、黒鳥どころか猛虎が現れても気付かないでしょう。
如来蔵の見大なる種子より生じる如来蔵の見性、これが仏性です。仏性は第一月たる如来蔵に依って現れる第二月の見性であり、仏性がまず作用し、続いて七識が刹那的に作用します。その他は語らず、因縁熟する時に自ら参究体得すべきです。
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