諸法に必要な縁とは、助縁や助力であり、補助的な意味を持ち、主導的な作用は致しません。主導的な作用は法や結果を引き起こす前因にあります。例えば、甲が乙に殴られた場合、これは悪法であり、縁は甲乙の出会いです。ある人や出来事をきっかけに殴打現象が生起します。実際、これに先立って原因があり、この事件を発生させました。もし前因がなければ、たとえ縁が具足してもこの事件は発生しなかったでしょう。前因が存在しなければ、たとえ今回の殴打事件が発生したとしても、それは将来の事件生起の因となり、将来助縁が現れた時、この事件を起因として甲が乙に報復し、乙が殴打される可能性が生じ、あるいは他の面での不愉快な行為が発生するかもしれません。
前因は因縁所生の法であり、虚妄なるものです。結果もまた因縁所生の法で、同様に虚妄です。いずれの法も因縁所生の法であり、全て実体のないものです。因も虚妄、縁も虚妄、果も虚妄、これらは全て八識の和合作用によって現れます。推動者は意根と業種であり、造り出す者は如来蔵です。六識が配合して、法は幻のように現れます。その中の七識もまた幻化されたもので、幻法が幻法を生み、幻の上に幻を重ねます。ただ如来蔵だけが幻ならず、一切の法を幻現させます。もし如来蔵も幻ならば、さらに幻の如来蔵を生じ、それを遡っても全て幻となります。もし幻ならざる法がなければ、法界は成立し得ません。
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