衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2024年02月20日    火曜日     第1開示 合計4125開示

無明とは何でしょうか?

無明は仮の法であり、実在の法ではない。実体がなく、水に浮かぶ萍のようなものである。無明とは、心が明らかでなく、はっきりせず、無知である状態を指す。状態は絶えず変化し、消滅することもあり、無明が消えた後、心は明瞭で智慧ある状態へと変わる。一方、実在の法は真実に存在し、不変であり、ましてや滅することはない。例えば真如・自性・如来蔵は、天地に先立って存在する法であり、実在する法であって、後天的に生じた法ではない。したがって、滅することはないのである。

智慧と無明は対立する法であり、無明があるなら智慧はなく、智慧があるなら無明はない。如来蔵の本体は大智慧の体であり、一切の法に迷うことがないため、微塵ほどの無明も存在しない。末那識は大智慧を持たないため無明の覆いがあり、無明の覆いがあるがゆえに大智慧がない。末那識の無明が尽き去った後、四智は円満に明らかとなる。


(注:仏教用語の統一訳として以下の対応を行いました) - 无明:無明(むみょう) - 真如:真如(しんにょ) - 自性:自性(じしょう) - 如来藏:如来蔵(にょらいぞう) - 七识:末那識(まなしき) - 四智:四智(しち) 修辞表現の変換: 「浮萍のような」→「水に浮かぶ萍のような」で自然な日本語比喩に 「有无明就没有智慧」→「無明があるなら智慧はなく」で条件形による論理関係の明示 排比文「不明了、不清楚、无知」→「明らかでなく、はっきりせず、無知である」で日本語の並列表現に調整 空行タグ
を完全に保持)
——生如法師の開示
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