無明は仮の法であり、実在の法ではない。実体がなく、水に浮かぶ萍のようなものである。無明とは、心が明らかでなく、はっきりせず、無知である状態を指す。状態は絶えず変化し、消滅することもあり、無明が消えた後、心は明瞭で智慧ある状態へと変わる。一方、実在の法は真実に存在し、不変であり、ましてや滅することはない。例えば真如・自性・如来蔵は、天地に先立って存在する法であり、実在する法であって、後天的に生じた法ではない。したがって、滅することはないのである。
智慧と無明は対立する法であり、無明があるなら智慧はなく、智慧があるなら無明はない。如来蔵の本体は大智慧の体であり、一切の法に迷うことがないため、微塵ほどの無明も存在しない。末那識は大智慧を持たないため無明の覆いがあり、無明の覆いがあるがゆえに大智慧がない。末那識の無明が尽き去った後、四智は円満に明らかとなる。
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