衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2024年02月04日    日曜日     第1開示 合計4112開示

修行は境界を空にするのか、それとも自分を空にするのか?

境界にはどのような法が含まれるのか?境界とはすなわち塵であり、塵とは私の識心と相対する一切の色声香味触法であり、人事物理の一切の法を含み、自他の五陰身を含む。根と塵が相触れて識が生じ、識があれば分別があり、それによって起心動念が起こる。では修行とは、境界を空にするのか、それとも私を空にするのか?まず私が空になり、私が空になれば境界も空になるのであって、境界が空になってから私が空になるのではない。
境界が無ければ私は無く、境界があれば私はある。これを何という修行と言うのか?もしこれをもって修行と呼ぶなら、外道は四禅八定を修めて境界相を空にしながら、ただ私だけを残している。彼らは断我見したと言えるだろうか?誰が外道より空に徹していると言えるのか?境界を修める者とは、もとより境界に随って転ずる者であり、境界に随って転ずる者こそが凡夫である。私が空になれば、まだ塵があるだろうか?塵はそれに随って空になる。あなたが空でなければ、一切の境界が起こり、あなたの心が空であれば、一切の境界は無へと化する。

——生如法師の開示
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