悟りを開きたいというのは願いであり、善い願いです。もしその想いがなければ、実際の行動には至りません。想いは前提であり、実践は助縁となります。様々な実際の行動によって悟りを開く因縁を円満にし、悟りに必要な条件を具足させ、ついに因縁時節が成熟するに至って、自然のままに悟道を得るのです。自然の理に沿った想いであり、僥倖を抱かず、小細工を弄する考えがなく、修行が相当の境地に達した時に生じる悟りへの想いであれば、それは正当なものであり、推奨されるべきものです。
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