衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2024年01月28日    日曜日     第1開示 合計4106開示

急いで思惟観行する理由

問:明らかに定力が不足していると禅の参究に不利だと分かっていながら、実際の修行過程では観行が特に好きで、修定はあくまで補助手段として用い、むしろ観行に費やす時間の方が修定より多い。なぜこのような心理現象が生じるのか。

答:この心理は非常に普遍的であり、原因は三つある。第一に、大多数の衆生は仏法を学ぶ時劫が短く、善根が十分に深くないため、道心を発していない。仏法に対するのは趣味や関心が骨の髄までの決断より多く、比較的表面的である。よって長遠心がなく、時間と労力をかけて順序立てて禅定を修習しようとしない。第二に、観行思惟から生じる智慧と認識は非常に魅力的であり、人は多くを知りたがり、一切の法を知りたがる。法を知ると心理的に満足を得るため、禅定を軽視してしまう。第三に、切迫した心理があり、最終結果を知りたがって急ぐあまり、修証の実際の過程を重視しない。第四に、意識による粗浅な思惟を使用する習慣があり、意根による深細な思量参究には慣れていない。

よって私が修心の部分、実修の部分、基礎固めの部分を講じると、多くの人はついて学ぶことを好まず、遅すぎて退屈で味気ないと感じ、順序立てて修行する忍耐力がない。そこで私に意見を提言したり、次第に離れていったりする。しかし衆生と仏教の長遠な利益と真実の利益のために、大衆の心理にただ順応するわけにはいかず、実修という部分を捨てて、衆生が興味を持つ理のみを説き、衆生が川で魚を羨むだけで網を打たないようにさせるわけにはいかない。

衆生の長遠な利益とは、しっかりとした基礎を持ち、心性が転換し、修行の方法を掌握することである。そうすれば将来適切な師匠に巡り会えなくても、如何に自修するかを理解し、自修する能力を持ち、是非を弁別する能力を持つようになる。この能力は未来世の無量劫にまで持ち越すことができ、これに勝るものはない。このような人こそ仏教の人材である。責任ある伝法の師匠とは、真に修行し実学のある人材を育成するのであり、理論的な知識人を養成するのではない。人材は代々伝わるが、知識理論は一世二世で消え失せ、遠くまで行き着かない。真実のものが伝えられるものがないからである。


——生如法師の開示
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