衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2024年01月16日    火曜日     第1 回の開示 合計4099回の開示

真妄を分かたぬ悟りは推測や憶測にすぎません

意根は六識を統括し、色・声・香・味・触・法において共同で作用します。これはつまり八識の和合作用と言え、真の心と妄の心が共存しています。一つでも欠ければ、いかなる法も生じることも運行することもありません。故に、ある者が「ある法において悟った」と述べても、その法の運行には真識と妄識が共に存在するならば、結局、悟ったのは真心なのか妄心なのか、それとも真妄和合体なのか。この極めて重要な点が明確でなければ、悟ったと言うも悟らぬも全く違いがありません。

ある者は言うかもしれません。「私は如来蔵がこの法に存在することを知っている、これが悟りだ」と。しかしこの法には七識もまた存在しており、如来蔵だけが存在して七識がなければ、いかなる法も存在し得ず、どうして運行し続けられるでしょうか。七識の機能作用を如来蔵に押し付けるならば、悟ったものは結局八識の和合体に過ぎず、それを悟りと言えるでしょうか。


——生如法師の開示
前の記事前の記事

脳内補完や想像による第八識の構築は第八識の実証とはならない

次の記事 次の記事

真妄を分かつことができない時、悟りを開くことはできません

ページのトップへ戻る