衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2024年01月14日    日曜日     第1開示 合計4098開示

脳内補完や想像による第八識の構築は第八識の実証とはならない

かつて自分は第八識を証得したと主張していた人々が、今では「悟りとは真如を証得することであり、第八識を証得することではない」と言い改めている。皆さん、彼らがかつて悟りと呼んでいたものは、いったい何だったのか?第八識と真如の関係を理解しているかどうかは別として、最も重要なのは、自分自身が当初どういう状態だったのかすら把握しておらず、聖人を自任して他人に第八識の証得を教えていたことだ。これは愚かで笑止千万な行為ではないか?これは彼らがかつて主張していた第八識の証得が、純粋に想像と頭の中での補完(脳補)に過ぎず、実証されたものではなかったことを示している。真に証得した法は、どんな因縁に遭遇しても、後になって否定したり、曖昧にしたり、はっきり認めも否定もしなかったり、胸が張り裂けるほど悩んだりすることはありえない。頭で補完し推論で想像したものは、少しの風吹き草動にも疑心暗鬼になり、自説を堅持できなくなる。たとえ堅持できたとしても、推論の産物でないとは限らない。

現在、第八識に関する説は実に混乱しており、どう説明してもはっきりしなくなっている。池の水が底から水面まで濁っているような状態だ。以前は底は濁っていても水面は澄んでいたが、今はそうではない。底から表面まで全てが濁っている。なぜこうなったのか?功を焦り、相応の代償を払わずに大きな虚名を得ようと急ぎ、虚栄心が膨らみ、真偽を区別せず、空中楼閣を築くことばかりに夢中になっているからだ。だからこそ、堅実に基礎から修行を始めず、一歩一歩着実に修行せず、結局は基礎的な法を修めることを軽んじ、高次の法は証得できず、高くも低くもならず、臨終の時にどんな結果を迎えるのか?悟りを頭で補完する(脳補)のが最も得意な者たちは、悟りを開いたばかりの住位菩薩が、何地もの菩薩でなければ観察できない「一切の法は第八識の種子の功能作用である」ことを観察できると主張する。この脳補の規模は驚くほど大きく、誰もこの高みに達することはできず、祖師大徳の再来者でさえも為す術がない。

池の水をかき混ぜる者には大いなる功徳がある。彼らは元々池の底に隠れていた怪物を水面に攪拌(かくはん)して浮かび上がらせた。こうして人々は、水底に沈みひそかに人々に害をなしていた妖怪の正体を認識できるようになる。もし後世になってから怪物の正体を認識するのを待っていたら手遅れになる。ましてや後世には怪物を認識する機縁があるとは限らない。怪物が早く姿を現し早く除去され、その害毒が早く認識されれば、それだけ早く目覚め、害を被ることも少なくなる。

——生如法師の開示
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どのようにして真に第八識を証得することができるのでしょうか

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真妄を分かたぬ悟りは推測や憶測にすぎません

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