定力強く疑念深い参禅の過程において、次第に五蘊十八界を排除し、五蘊十八界の真実性を否定することで、その無我性を確認し、我見を断ち、小乗の法眼浊を得るに至る。五蘊十八界の遮障がなくなれば、この時大乗見道まで遠からず。意識と意根が参禅を通じて如来蔵を証得する時、六塵に分別性のない如来蔵の単純な運作状況を観察でき、こうして大乗見道の般若智慧を獲得する。
この智慧をもって観ずるに、如来蔵は不生不滅の無我性の心体でありながら、生滅ある有我性の五蘊身を出生させ、同時に如来蔵が如何にして五蘊を生起させるかをも観察し、五蘊が確かに空で無我であることを証得し、何故空で無我であるかを明確に知る。このような智慧は小乗の我見を断つ智慧よりも遥かに深利で究竟している。根本煩悩障と所知障を断除することは、後続の修行における事柄であり、初禅定を出生した後のことであり、また十行位十回向位を経た後の事柄である。
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