衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2024年01月03日    水曜日     第1開示 合計4091開示

誰が証悟を必要とし、どのように悟るのでしょうか

多くの人は、如何に証悟するか、そして誰が証悟を必要とするかを理解していません。では、何故私たちが仏法を学ぶにあたり証悟を必要とするのでしょうか。それは、私たちが無始劫よりずっと迷いと倒錯に陥り、虚妄を真実と見なし、妄りに生死輪廻の苦しみを受け、解脱と自在を得られないからです。そのため、無明を打破し、心の中の虚妄の法を打破して、真実の理を悟る必要があります。しかし、この「私たち」が誰を指すのかをはっきり見極め、理解しなければなりません。それは意識と意根という二つの心を指します。なぜなら、この二つの心には極めて多くの無明があり、法界の実相真理を知らないため、修行して真理を悟る必要があるからです。真理を悟った後、初めて五蘊世間の一切の法の虚妄を証得し、一切の無明を断じ尽くし、一切の生死の苦しみを滅除し、大解脱を得ることができます。法界実相如来蔵を証得してこそ、三大阿僧祇劫(あそうぎこう)の修行を通じて無明を断じ尽くし、涅槃寂静に至り、一切の生死の苦しみから解脱することができるのです。ですから、開悟を必要とするのは六識と七識の心なのです。

如何にして如来蔵を証悟するのでしょうか。如来蔵の本体は、私たちには到底見ることができません。なぜなら、それは空であり、何の相貌もないからです。当然、その本体を見ることはできず、その功能作用を通じてのみ証得できるのです。五陰身の運作において、如来蔵の運作行相を現量で観察することが、即ち如来蔵の証悟です。この時に初めて、如来蔵が五陰身において如何に運作しているかを明らかにすることができます。如来蔵の本体は空寂ですが、その作用は決して空寂ではなく、功能作用には行相があり、観照することが可能です。それを観照した時が証悟なのです。

私はかつて風を比喩に用いました。空寂の心は風のように見ることはできませんが、それでも風の存在を知ることはできます。風もまた空であり、私たちは風を見ることも、風の匂いを嗅ぐことも、風に触れることも全くできません。しかし、何故風が来たことを知ることができるのでしょうか。それは、風が来た時には必ず種々の作用があり、それらの作用は全て物体や空中に現れるからです。風が物体に作用し、虚空の中に作用し、風と物体、虚空が互いに触れ合い、互いに衝突することで様々な現象が現れます。これらの現象を見るのと同時に、私たちは風を証得するのです。そよ風であろうと、大風であろうと、微風であろうと、狂風、暴風であろうと、竜巻であろうと、物体に現れる現象から、どのような風であるかを判定することができるのです。

如来蔵の本体は風と同じく形も相もありませんが、如来蔵が五陰身に及ぼす作用を通じて初めて、それを発見することができます。では、風を見つけるのは誰でしょうか。それは六識と七識の心であり、五識も含まれます。大風が出現した時、六識と七識は共に風災を避け、防ぐ方法を考えます。如来蔵を証得する時も、六識と七識が共同で証得するのです。如来蔵の起こす作用、五陰身において運行して現れる行相を観察することによって証得します。如来蔵にはどのような作用があるのでしょうか。一切の万法は如来蔵によって生成され、維持されています。一切の万法には如来蔵の執持作用があります。如来蔵が究極的に如何に運作し、如何に作用するのかを参究すれば、六祖の説いた五つの「何期自性」を明らかにすることができるのです。


——生如法師の開示
前へ前へ

観音耳根円通の法門で説かれる空寂心を如何にして証得するか

次へ 次へ

如何に真を見て妄を去り無明を破るか

ページトップへ戻る