五蘊十八界の一切法は如来蔵の性であり、この理は如来蔵を実証した後に観行を重ね、次第に通達する必要があります。意識で想像して如来蔵が何らかの作用を及ぼしていると捉えるだけでは、如来蔵の働きを眼前に観察することは叶わず、五蘊十八界の如来蔵性を観ることもできません。理解はあくまで理解、想像はあくまで想像であり、実証に代わるものではございません。
如来蔵が如何に種子を記録し、因果を成就させるかは、これら全て唯識の種智に属する事柄であり、地上の菩薩のみが現量をもって観察し得る境地でございます。如来蔵の種子の機能作用、世間の万法を現起させる機能作用、及び如来蔵の一切の種子の機能作用は、すべて唯識の種智の範疇に属し、これもまた地上の菩薩のみが現量観察可能でございます。地前の菩薩は煩悩が重く禅定が不足しているため智慧も足らず、六・七識も未だ識を転じて智と為さぬ故、これら甚深微妙な法義を観察する力なく、理解した事柄が現量観察に代わることはございません。
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