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日常開示

2023年12月27日    水曜日     第1 回の開示 合計4086回の開示

八識は色身のいずれの処所にあるのか?

八つの識心は形も相もなく、物質的な色法ではありません。物質色法との間には物理的な属性としての「触」が存在しないため、識心は物質色法である色身の内側・外側・中間のいずれにも存在しません。もし識心が色身の内側にあるならば、色身という物質色法を分解し、一片ずつ切り分ければ識心を見ることができるはずです。しかし仮に色身を粉々に切り刻んだとしても、いかなる識心も現れず、後脳の勝義根を分解しても八つの識を見出すことはできません。よって識心は色身の内側には存在しません。

もし識心が色身の外側にあるとするなら、色身の外は虚空であり、識心は虚空の中に存在できません。識心と虚空は異なる属性を持つため、互いの中に存在し得ず、仮に識心が虚空にあってもそれは貴方とは無関係な、誰にも属さない識心となります。万人で共用することもできず、他人の身体にあれば他人のものとなり、無情物にあるなら物を破壊しても見出せないため、識心は色身の外側にも存在しません。

もし識心が色身の中間にあるとするなら、中間の位置を特定できません。色身の表面にある場合、依然として色身の内側に属し中間とは言えず、位置が存在する限りそれは色身の内側であって中間ではありません。よって識心は色身の内側・外側・中間のいずれにも存在しないのです。

具体的には楞厳経第一卷において、世尊が説かれた六識が色身の内外中間に存在しないという教説を参照してください。第七・第八識も第六識と同様に、色身の内外中間のいずれにも存在しません。色法と非色法には物理的な属性としての触が存在せず、非色法は色法の内外中間に存在し得ないのです。

そこで疑問が生じます:では八つの識は結局どこにあるのか?どこにも存在しないとは言えないでしょう?八つの識は当然それぞれの作用する処に存在しますが、目で見えるものではありません。形も相もないからです。八つの識が具体的にどのような作用を持つかは、自ら修行して思惟を深め、時至れば各識を証得できるようになります。その時こそ各識の所在を知るでしょう。このうち前六識は証得し易く、七・八の二識は極めて困難で、相当の因縁条件を具足しなければ証得できません。

——生如法師の開示
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