衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年12月22日    金曜日     第1開示 合計4083開示

阿闍世王はなぜ地獄の業を滅して極楽往生することができたのか

阿闍世王は父を殺した業障の障りにより、仏が直接説法をされましたが、彼が得たのは無根の信のみで、根本的な我見を断じて初果を証得することはなく、ただ初果向に留まりました。初果向でも三悪道の業を消滅させることができ、解脱の初歩に近づくため、極楽浄土に往生することができたのです。一般的に、仏陀が直接説法して摂受されれば、業障がさほど重くなければ、初果から四果まで証得することが可能です。しかし阿闍世王は証果を得られませんでした。やはり父殺しの業は軽くないためですが、この無根の信は既に大変良く、初果向を得たことで地獄の業を消すには十分でした。

阿闍世王は未来世で再び父親に会えば、業の借りを返すためにもう一度殺されることは避けられないでしょう。しかし、もし阿闍世王の前世に父親との怨業があった場合、今世の阿闍世王は前世の恨みを晴らして怨業を解消しているので、この業の借りは清算され、返済する必要はありません。実際、阿闍世王が父を殺したのは、まさに父親と前世に怨業があったためで、今世は怨みを返すために生まれてきたのです。そのため父殺しの業もさほど重くはなく、仏陀の説法を聞くことで消滅しました。しかも彼の父親は証果を得て、死後は天界に生まれ、その後ずっと阿闍世王に付き添い、自らの前世の罪を悔い、絶えず阿闍世王を励まし加護しました。それ故に阿闍世王は心に慚愧の念を生じ、仏の説法に遇うことで父殺しの地獄業を消滅させたのです。

業を消滅させ得る仏陀の摂受力は非常に大きく、比類なきものです。業を消された阿闍世王には懺悔の心、慚愧の心があり、業障は極めて重いものではなく、また前世の因縁もあったため、結果として阿闍世王は地獄に堕ちることなく極楽浄土に往生できました。もし仏陀が阿闍世王に説法されず、他の菩薩や阿羅漢、あるいは普通の人物であったならば、阿闍世王は無根の信を得て地獄業を滅し極楽往生することは必ずしもなかったでしょう。

業は智慧によって消されるものであり、程度の異なる智慧がそれぞれのレベルの業を消します。業が尽きれば仏となります。六道輪廻の業を消すことは、四果の阿羅漢や辟支仏が修行する境地です。凡夫も業を消しますが、それは浅いレベルの業に過ぎません。業には様々な種類やレベルがあり、個人の修行の程度に応じて異なるレベルや種類の業を消すのです。ただ様々な煩悩を断つことこそが真の消業であり、業が消えて再び造らなくなります。煩悩を断たなければ、業が消えても機縁があれば再び造ってしまうかもしれません。ある人々は道理を明らかに求めず、ただ業を消すことだけを求め、至る所で仏菩薩に業を消してもらおうとします。消えた後でまた造るのでは、このような消業は何の役にも立ちません。道理を明らかにして心が変わってこそ、業が消えて現れなくなるのです。そして心を変えることは自分自身の問題であり、他人が手助けできることではありません。

——生如法師の開示
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